プロフェッショナリズムを追求する旅

戦略コンサルタントという理解し難い職を通じて感じるところ等々、徒然に書いて行きます

「戦略系」と「総合系」での「レバレッジ」の考え方についての違い

当初、質問を受けていた「コンサルファームにおける『優秀』の定義」ということについて書こうとしていた。

しかし、それを考える上で前提の整理が必要であり、それが、昨日から感じていた違和感と繋がったので、こちらをまず先に。

 

違和感を感じたのは、Twitterで書いた下記の点について。

 

 TokyoSwing氏の「個人商店」に関する記述について、私も各ファーム共にここからの脱却を志向し、ある程度の歩みを進めていることは理解している。

一方で、「戦略系」と「総合系」の間で明確な違いが有ると、これもかなり強く感じている。

 

自分自身で「振り切れていない」と書いた。しかし、何となくこの表現は違っており、そもそもの考え方が違う、というように感じ始めた。

「振り切れていない」というのは、志向が同じである中で、総合系の方が進んでいるということ。しかし、そもそもの志向が異なるのではないか、と。

これが何となく違和感となっていた。

 

 

ここでの違和感について、「レバレッジ」という視点から考えると良いのかも知れないと感じた。

 

戦略系ファームについて「個人商店の延長」と表現したのは、戦略系各社のレバレッジのかけ方が、基本的にはパートナーの「個」に対してかけていると感じているから。

戦略系ファームの顧客に対する提言については、パートナーの個性であったり価値観が強く影響すると感じている。恐らく、同じ案件の同じ状況で2人のパートナーが個々に提言内容を考えた場合、全く異なる提言が出て来ることも生じ得るし、それで正しいと考えている。

総合系ファームよりもフィー水準が高いのは、これが最大のポイントではないかとも思う。

 

つまり、戦略系ファームでの価値の源泉はパートナー(もしくはプロジェクトを主導する人)の「個」であり、この「個」を切り口として収益をどう大きくするのか/安定させるのか、という考え方で組織やナレッジ、ソリューションの拡充を図っていると考えている。

パートナーは、「個」の競争力を高めるために組織やナレッジを用いるし、また、派生した収益機会を得るためにソリューションを用いる。

 

一方で総合系ファームについては、価値の源泉自体がソリューションになっていると考えている。「個」に依存しないビジネスモデルになっている(もしくは追求している)。

顧客への提言の中での「個」の介在が極めて薄い。

この時、総合系ファームでのレバレッジとは、パートナーなどの「個」ではなく、「ソリューション」にかかっていると思う。

如何に拡販できる汎用的なソリューションを開発するのかを追求し、それを徹底的に拡販する。パートナーもマネジャーもスタッフもその目的を念頭に動いている。

 

なお、あくまでもこれは端的に対立構造で示しただけで、実態としてはそれぞれがこの間に位置しているとは思う。これは以下についても同様。

 

 

この差が最も顕著に表れるのが「営業の考え方」だと感じている。

 

戦略系ファームは「顧客」を起点とした発想が比較的徹底されていると思う。

ある顧客について、何が課題で何をすれば良いのか、ということを考え提言する。そこに組織として蓄積された知見を活用したり、有しているソリューションを提供するという形を取る。

一方で総合系ファームは「ソリューション」を起点とした発想の方が強いと思う。

汎用的に展開できる「ソリューション」が出来上がると、「それが『はまる』顧客はどこか?」という視点で営業を展開する。

 

ちなみに、「ソリューション」という単語の持つイメージが、戦略系と総合系で随分と違うと感じている。総合系での「ソリューション」の方が、かなり定型化(テンプレート化)がされている。

 

 

本来的にプロフェッショナルは個人勝負。

しかし、

  • 信頼性の向上(ブランドの確立)
  • 安定性の確保(互助)
  • 専門性の相互補完
  • 規模への対応

といったことを目的に組織化が進んできたと考えている。本来的には「個」なのだが、組織化することに一定の価値を感じているが故に「同盟」を組む。

収益も、パートナーの個々の収益の総和がファームとしての収益であり、個々の収益を極大化するために組織を活かす、というスタンスが強い。

これが「パートナーシップ」型組織の本来の意味だと考えており、今でも戦略系各社はこの延長線上に有ると思う。組織化の意義はより広くなっており、もはや本当の「個人商店」に戻ることは不可能であるが、究極的には「個」の勝負。

 

一方で、特にアクセンチュアなどは完全にここから抜け出していると感じている。

 

 

 

あくまでも究極的な話として。

 

法人へのコンサルティング以外のソリューション型サービスで極めて高い営業能力と組織運営能力を有する人材が居るとして、この人がファームのパートナーに転職をして、セールス面において短期間で実績を上げることが出来るのか。(売れるソリューションを開発する、という視点は別)

アクセンチュアであれば出来ると感じている。勿論、いきなりその日から、と言うものではないが、比較的短期間で成果を上げられると思う。

一方で戦略系各社でそれが成り立つかというと、ひょっとしたら一部のファームはできるかも知れないが、殆どのファームでこれは無理だと思う。

戦略系ファームのパートナーは、コンサルタントとしてのかなり高い能力が前提になっている。

 

 

・・・と、ここまで書いてはみたが、「違和感を言語化する」という点で質がかなり低いと感じている。まだ自分の中で、「これ」という答えに落ち切っていない。

とは言え、取り敢えずの考えとして記録しておく。

(続)「戦略系」と「総合系」

先日書いた下記の記事について、何となく論調として「『戦略系』が絶対的に良い」というような雰囲気になってしまっているが、これはあくまでも一側面からしか見ていないものなので、補足。

takashi-kogure.hatenablog.com

 

この中で、

総合系に身を置く立場で言うのもどうかと思うが、総合系で評価が高い人であり、かつ、コンサルタントとしての成長を追求したいのであれば、戦略系ファームに転じることを真剣に目指した方が良い。

と書いた。

これは「コンサルタントとしての成長を追求したいのであれば」ということが前提。あくまでも、「自身の成長を追求するため、『育つ』という観点で場を選ぶとすれば」ということ。

 

戦略系と総合系についての話はこのブログ内で色々と書いているが、上記の点で言えば戦略系を選べるのであれば戦略系を選んだ方が良い、という結論になる。書いたようにこれは絶対。

 

しかし、ビジネスとして見た時に「戦略系」と「総合系」のどちらが長けているのか。こうなると話が全く変わる。そして、これが私が戦略系を離れた最大の理由。

パートナーという立場に立った時、見える景色が全く変わる。

 

私自身、前に居た戦略系ファームを離れるという決断をする際にはかなり悩んだ。

それまでも営業をする立場に居たし、ファーム運営にも色々と関わっていた。しかし、パートナーへの昇進という話を受けて明確に、「このファームに居続けることが良いのか」という大きな疑問が生じた。

組織風土については嫌な点は無く非常に好きだったし、優秀なスタッフも多い。評価を受けていたということもあって居心地の良さのようなものも感じていた。

しかし、唯一、「ビジネス」として見た時には違う、と。

 

ビジネスとして見た時に、最も、かつ、圧倒的に成功しているファームはアクセンチュアだと思う。これは、この業界に属している人であれば同意頂けることが多いと思う。

「ビジネスとしての成功」というのは色々な尺度が有る。

ここで特に私が意識するのは「持続性」「成長性」という2つの点。

 

 

まず、稼ぐ仕組みが非常に強い。収益構造もそうだし、案件の仕立て方もそうなのだが、持続性が(少なくとも戦略系ファームと比べて)かなり担保された形になっている。

戦略系ファームの多くにおいて、例えばパートナーの半分が急に退社する、といった事態が生じた場合、一気に縮小する(=人員整理をする)ことが不可欠だと思う。

しかし、アクセンチュアで同様のことが起きても、(勿論、ある程度の影響は有るだろうが)ある程度耐えられると思う。

 

戦略系ファームは良くも悪くも「個人商店」の延長線上に過ぎない。「能力が抜群に高い『個』の集合体である」ことが全ての前提になっている。

最近はそこから脱却するファームも出て来ているが、「プロフェッショナルファーム」である限り、この性質に大きな変化は無いと思う。むしろ、仮にその性質に変化が生じるとすれば、「プロフェッショナルファーム」の価値が薄れる可能性が高いと思う。

(とは言え、時代変化もあって、「個人商店からの脱却」=「プロフェッショナルファームとしての価値の毀損」とならない形が見出せるのかも知れないが)

これにより、持続性の観点から見ると、戦略系ファームは相対的に不安定だと感じる。

 

 

また、総合系の方が案件が「型」にはまっていると感じる。

これにより、能力的に劣るスタッフを抱えていても、一定程度のパフォーマンスを上げることが出来る。

うちの会社に居るAC出身のパートナーが「スタッフなんて猫の手よりもマシな程度で良い」と言い切っていたのが象徴的。そこまで言い切れる案件の「型」を創り出す姿勢と能力は、本当に凄いと感じる。

これによって、規模の拡大を図り易くしている。

 

戦略系ファームでも「型」を作る意識は勿論有る。しかし、ここまで徹底した型を作っているファームは少ないと思う(とは言え、存在するが)。

アクセンチュアは別格としても、これらの点は他の総合系ファームにもある程度共通して見える性質だと思う。これにより、ビジネスとしては総合系の方が比較的強いように感じる。

 

戦略系ファーム各社が、「戦略コンサルタント」として稼ぎ続けることに難しさを感じて志向を変えつつある。しかし、振り切れていないところが多い。

言うなれば「プロフェッショナルファーム」と「事業会社」との狭間で苦しんでいると感じる。

 

元々、総合系ファームの(パートナークラスの)高い報酬は、「規模を稼げる仕組みを作ること」の対価という側面が強いと思っている。「安い若手スタッフを多く使ってでも回せる仕組みを作る」という言い方の方が良いかも知れない。

レバレッジを効かせることで高い報酬を得ていたと思う。

 

しかし戦略系ファームの場合、こちらは若手から比較的高い報酬になるが、それは「付加価値の高い仕事をすること」の対価として得ていた。

そのため、変に振り切った場合には、既存の高い報酬の源泉(拠り所)を毀損することにも繋がるため、それを難しくしているのではないかと感じる。

 

 

これらのことは、若手が「サラリーマン」として過ごす場を選ぶという視点で見た時にも影響して来ると感じる。

そこで働く立場として戦略系ファームが優れていると感じるのは、「プロフェッショナルたるコンサルタントとして能力を高める」という側面についてのみの話。それを志向する人にとっては確かに良い場なのだが、「あくまでも生活の糧を稼ぐ場」という割り切りを前提として選ぶ際には、必ずしも良いものではないと思う。

 

戦略系ファームの厳しさは、やはり尋常ではない。安定もしない。

提供価値を追求するという点での極めて強いプレッシャー、厳しい競争等々。私は10年弱に亘って身を置いたが、「身を削る」という表現が当て嵌まると思う。そして、恐らくトップティアの戦略系ファームはもっと厳しいのではないか・・・と推察する。

 

一方で総合系の場合、そこまで厳しくはない(ファームによってはかなり「緩い」)。

「出世競争が激しい実力主義の企業」には区分されると思うが、少なくとも「尋常ではない」というレベルではない。

これは、総合系の場合、前述した「型」により「優秀でない人でもできる仕事が(しかもかなりの量)有る」ということが大きいと思う。

また、顧客からの期待水準(「期待すること」の方が適切かも知れない)も随分と違っていると感じる。

 

そのため、「確かに少しハードワークも有るし、少し厳しいが、それなりの報酬を貰って生活を営む」という道を選べる。少なくとも、旧態依然としている企業に比べてかなり健全な環境。

ほどほど楽しい案件も有るし、新橋のガード下で会社の愚痴を言い合うような人も少ない。理不尽なことも少ないので、居心地は良いと思う。

 

 

結局は価値観によると思う。

コンサルタント」としての個の成長を追求するのであれば戦略系の方が良いと思うし、「サラリーマン」として働く場として考えると総合系の方が良いかも知れない。

 

 

但し、総合系ファームも栄枯盛衰は大きい。アクセンチュアは確固たるものを築き上げた感が有るが、他のファームはまだそこまでは達していない。戦略系ファームも含め、時代変化の渦の中で淘汰・変質が暫く続くと思う。

そのため、一生働ける場とは考えない方が良いとは思う。

そうすると、「しがみつけない場」が「サラリーマン」として働く上で適切な場所かどうか、という疑問は残るが。

「戦略系」と「総合系」

コンサルティングファームを分類する方法として、何か言っているようで何も言っていないような区分である「戦略系」と「総合系」。

最近では戦略系ファームが総合系ファーム寄りに、また、総合系ファームの中でも部門によってはかなり戦略系寄りにシフトしていると感じている。

「違いが無くなって来ている」というようにも感じる。

しかし、私はその双方、それぞれの立場を経験して来たが、両者には歴然とした差が有ると感じている。

 

昔は「総合系」ではなく「会計系」と呼ばれていた。そのため、当時は「戦略系」と「会計系」という構図。他に人事系なども有った(今でも有る)が。

この時代は比較的違いが明確だったと思う。戦略系は戦略および組織マターが中心、会計系は基幹システムを担いで経営管理マターが中心。会計系ファームの中で戦略部門というのは中途半端な位置付けだった。

ちなみに、会計系ファームのマネジャーだった時、新規事業案件を受注したことが決まった直後にSAPチームの面識の無いパートナーからいきなり電話が来て「この案件、パッケージは何を想定しているの?」と聞かれた。システム案件に繋がることは無いと答えたら「だったら、こんな案件、何の意味が有るんだよ!!」と怒鳴られたことが有る。

この程度の存在だったということ。

 

時が経て今、「戦略系」と「総合系」は何が違うのか。

 

恐らく、やっていることは非常に似通って来ていると思う。

さすがに戦略系ファームでERP担いで売り歩く所は無いと思うが、総合系ファームの戦略(もしくはそれに類する)部門だと、戦略系ファームと案件の「区分」程度では正直大差無い。

 

両者の違いは、「人材の質」と「案件に対するスタンス」だと思っている。

 

人材の質の違いはかなり大きい。これは、「平均値の水準」、「極めて優秀な人の発生確率」、「『使えない人』の発生確率と水準」のいずれもが大きく違う。

 

平均値については、総合系ファームの「かなり優秀」と言われる人の水準が戦略系での「平均値」位の感覚。戦略系でほどほどの人であれば、総合系ファームでほぼ例外なく「かなり優秀」と評価されると思う。逆に言えば、総合系で「かなり優秀」レベルだと、戦略系に移ると「平均程度」に陥る可能性が有るということ。

(但し、この話はマネジャー以下であることが前提。パートナーに準ずる立場以上になると評価軸が異なるので話が変わる)

 

また、総合系から戦略系に移った際に非常に強く感じたのが、「極めて優秀な人の発生確率」。確かに総合系にも「何でこんな優秀な人が居るんだ!?」と感じるようなレベルの人が居る。今のうちの部門でも、マネジャーに一人居る。

しかし、戦略系に暫く属していると、そのような人を「見慣れる」。むしろ、それを超越するような途轍も無い人が出て来る。今のうちの部門に居るマネジャーも、恐らく戦略系に移っても「優秀」とは称されると思うが、恐らく「極めて優秀」という評価にはならないと思う。

 

この点は少し補足が必要だが、総合系に居る「極めて優秀」な人が、資質の面で戦略系ファームにおいて「極めて優秀」という評価にならないということは無い。恐らく、資質についての差は無い。

違いが生じるのは育成の徹底度合い。戦略系と総合系で、特にスタッフレベルでの育成はかなり大きく違う。戦略系では、極めて資質の高い人材が、徹底した指導を受け、しかも横並びで切磋琢磨している。

恐らく、総合系の中に居ると、自社もそれなりに鍛えられる環境だと感じる人も居ると思う。他社を知らなければ仕方ないが、これはかなり違う。(とは言え、最近は戦略系でも緩い所が出ているようだが)

どのような仕事でも、若手時代をどのような環境で育つのかは非常に大切な要素。元々優秀な人材が、徹底的に鍛えられる環境に身を置けば、そこで差が付くのは当然。

逆に、そのような環境を経ずにマネジャーになってしまうという当社の状況を見て危惧している。優秀な人材はやはり早い段階で移るべき、と非常に強く感じる。

 

「『使えない』人の発生確率と水準」は・・・割愛。

 

 

「案件に対するスタンス」について。

これは案件を率いるパートナーやマネジャーによっても差が有るし、最近では戦略系ファームもかなり変質しているので、その差は薄れているかも知れない。

しかし、全体的な傾向として、戦略系よりも総合系の方が「パッケージ化」を意識した案件の仕立てをする傾向が強いと感じる。「パッケージ化」は、言い換えると「能力が高くない人でもできる案件を作り出す」ということ。

これは、パートナーの意識の違いとも繋がるとも考えており、営業担当者でありつつもコンサルタントとしての自負のようなものがある戦略系のパートナーと、営業担当者という性質だけが非常に色濃い総合系のパートナー。

これは、マネジャー時期の成長の差に繋がるような気がしている。

結局、これも育成面の影響であって、「コンサルタントを育てる」のか、「営業担当者を育てるのか」という違いかも知れないが。

 

 

単なる区分の違い。しかし、特に若手時代を過ごす場として、明確な違いが有ると感じている。

総合系に身を置く立場で言うのもどうかと思うが、総合系で評価が高い人であり、かつ、コンサルタントとしての成長を追求したいのであれば、戦略系ファームに転じることを真剣に目指した方が良い。

これは絶対だと思っている。

 

 

とは言え、戦略系ファーム自体が志向が変わり、かなり変質しているのも確か。 (下記記事参照)

しかし、総合系ファームは更にその傾向が強いように見て取れるので、「戦略系」と「総合系」の相対的な差は変わりない(むしろ大きくなっている)と思う。

takashi-kogure.hatenablog.com

 

コンサルタント向け推奨書籍(3. その他)

GWに向け、以前に読んだ本を少し読み返そうと思って本棚を眺めていたので、ついでに、コンサルタントとして役に立ったと感じた本のまとめ。

 

3.1. デザイン関連

 

3.1.1. 伝わるデザインの基本

良いスライドは、内容は当然だが、見た目も洗練させることが必要だと思っている。

見た目はセンスもかなり必要だが、色やコンテンツの配置、余白の取り方などルールを身に付ければ、ある程度の所までは誰でも行けると思う。ちなみに、最初のファームに入った際にはそのような研修も有り、受けた覚えが有る。

それらが纏まっていて非常に優れているのがこの本。私が読んだのは旧版だが、こちらは改訂版。

スライドを作る立場の人は是非読んだ方が良いと思う。

 

 

3.1.2. デザイン入門教室

「伝わるデザインの基本」がどちらかと言えば「綺麗な資料の作り方のコツ」だとすれば、こちらは「グラフィックデザインのコツ」と言えるような本。前者の方がコンサルタントの資料作成にそのまま役に立つが、こちらも読んだ方が良い。

特にこちらの「実践演習」の章は、資料を洗練させる際に非常に有効。

セミナー用のマテリアルなど、デザイン的に作り込む際にはこの辺りまで意識することが必要だと感じる。

 

 

3.2. 組織理解関連

 

3.2.1. 失敗の本質

非常に有名な本だが、これは日本企業の組織を見る上でかなり示唆が多いので、是非読んでおいた方が良い。戦時下の日本軍と、今の日本企業。何も変わっていないと感じると思う。

 

 

3.2.2. 日本社会のしくみ

特に雇用について、日本の仕組みは他国と異なった特徴的なものと言われることが多い。しかし、それがなぜ成り立ったのかといったことについてはあまり語られない。

この本では、日本型雇用の成立経緯についてしっかりと書かれている。

日本企業と向き合うのであれば、一度読んでおいた方が良い内容だと思う。

  

 

3.2.3. 君主論

君主論 - 新版 (中公文庫)

君主論 - 新版 (中公文庫)

 

ここで今更取り上げるような本ではないかも知れないが、この本はやはり示唆が多い。

マキャヴェリと言うと、何となくネガティブなイメージで捉えられることも有るが、企業経営のリアルを考える際には、この考え方は非常に重要。

 

なお、個人的には下記の本もお勧め。

よいこの君主論 (ちくま文庫)

よいこの君主論 (ちくま文庫)

 

君主論のエッセンスをそのままに、小学校のクラスでの覇権を握るまでのストーリーとして描いている。

ちなみに、架神恭介氏は私のお気に入り著者の一人。面白い本が多い。

私が最もお勧めするのは下記の本。

これを読むだけで、楽器を全くできない状況からものの数日で誰でもパンクロッカーになれるという、物凄い一冊。 

 

・・・完全に横道に逸れてしまった・・・。 

 

 

3.3. 歴史関連

 

3.3.1. 日本近代史

日本近代史 (ちくま新書)

日本近代史 (ちくま新書)

  • 作者:坂野 潤治
  • 発売日: 2012/03/01
  • メディア: 新書
 

幕末以降の近代史に関する入門書だが、しっかりと書かれていて読み応えある。

年配の経営者と話す際には、歴史に関する話題が上ることも多い。

江戸時代よりも前が話題になることは少ないし、その辺については教科書程度の理解さえ有れば「詳しく知らない」で問題無いと思う。しかし、明治期以降についてはある程度の理解が無いと恥ずかしいと思う。

教科書に加えて、この辺の本を一冊、しっかりと読み込むと良いと思う。

 

 

3.3.2. 驕れる白人と闘うための日本近代史

驕れる白人と闘うための日本近代史 (文春文庫)

驕れる白人と闘うための日本近代史 (文春文庫)

  • 作者:松原 久子
  • 発売日: 2008/09/03
  • メディア: 文庫
 

この本は、日本人の著者が、ドイツ語でドイツ国内で発刊したものの日本語訳。

かつては盲目的な「西洋礼賛」、最近はその揺り戻しなのか過剰かつ短絡的な「日本礼賛」の風潮が有る。いずれも気持ち悪いが、最近の風潮は特に。

しかし、しっかりと日本を理解し、良い所は良いという認識は必要。

世界と仕事をする上で、この本は前提として必読。

 

 

3.3.3. 坂の上の雲

坂の上の雲 全8巻セット (新装版) (文春文庫)

坂の上の雲 全8巻セット (新装版) (文春文庫)

 

この本は絶対に読んでおいた方が良い。

とは言え、少し長い(しかも間延びした感じを受ける)ので、読むのが苦痛の人は取り敢えず映像でも良い。NHKで3年に亘ってやったドラマは非常に良かった。

 

 

3.3.4. 竜馬がゆく燃えよ剣/最後の将軍

燃えよ剣 全2巻 完結セット (新潮文庫)

燃えよ剣 全2巻 完結セット (新潮文庫)

 
新装版 最後の将軍 徳川慶喜 (文春文庫)

新装版 最後の将軍 徳川慶喜 (文春文庫)

 

これは3作品でセットだと思う。

いずれも幕末を描いた話だが、立場が討幕派、佐幕派、幕府内部と立場が全く異なる。同じ事象でも、立場が異なると見え方が全く違う。

維新に関わらず、組織の変革においても、保守派、改革派それぞれの正義が有るが、時としてそれらの正義を忘れ、ある一方(特に改革側)からだけ考えて「我こそが正義」となりがちだが、コンサルという立場はそれだけではいけないと思う。

 

ちなみに、上で「坂の上の雲」を取り上げたが、司馬遼太郎初心者であれば先に「竜馬がゆく」から始めた方が良いかも知れない。

  

 

3.3.5. 世界史関連

下記の記事をご参照下さい。

takashi-kogure.hatenablog.com

 

 

3.4. その他

 

3.4.1. コンテナ物語

少し前に新装版が出ているのを書店で見掛け、この本が大衆受けするのか・・・と非常に驚いた。

この本は、単なる箱でもある「コンテナ」がどれだけ大きな変化を生むものだったのか、そして、抵抗勢力が有る中でそれをどのように浸透させたのか、というプロセスが描かれた本。

プロジェクトで直面することに通じる内容。

 

 

3.4.2.  合理的市場という神話 

ファイナンス理論の探求と崩壊の歴史が描かれた本。

ファイナンス理論は、自然科学を説明する武器としての数学を駆使して社会科学を説明しようとするものだと思っている。しかし、本当に説明が可能なのか。確かに、極めて抽象化されたモデルの説明は可能だろうが、ファイナンス理論の領域になると難しいのでは・・・などと色々と考えている中で見付けて読んだ覚えが有る。

この領域に興味が有る人であれば、面白く感じられるのではないかと思う。

 

 

以上。

また本棚を整理した時に追記などします。

 

 

takashi-kogure.hatenablog.com

takashi-kogure.hatenablog.com

 

古典名著を読む意味

このような状況の中でゴールデンウィークに突入すると、時間的に余裕が生まれる(と言うか持て余す)人も少なくないと思う。

このように、ある程度纏まった時間が有り、かつ、他に魅力的な選択肢を取れないような状況は、古典名著を読むのに最適な時だと思う。

 

文学に関する古典名著は脇に置くとして、ビジネス書の古典名著を読むことについて。

 

古典名著は、それを読んだから何か新しい知識が得られるようなものではないのは当然のこと。だから古典名著。

多少なりとも勉強をしていれば、当然、その古典名著に書かれている内容は前提となっている。例えばポーターを読んで戦略について「目から鱗」というような知識を得たという人が居たら、その人はそれまで全く勉強していなかった(か、相当に勉強の方向性を間違っていた)ということ。

 

古典名著を読む最大の意味は、自分の様々な体験を理論的かつ抽象的に整理できることにあると考えている。それにより、自分が漠然と感じていたことが言語化されたり、見ているようで見えていなかった部分に気付くことができる。

つまり、古典名著を読むことで得られるものというのは、自分自身の経験(正確に言えば、経験の中で吸収したこと)の総量に依ると考えている。

また、古典名著を読むということは「プロセス」であって「インプット」ではない。「考える」ということの触媒のようなものだと思う。

 

そのため、読むごとに得られるものが変わる。増える。

以前はつまらないと思っていたものが、時間を空けて読んだ時に非常に面白く感じる、ということが多い。しかも、幾度読んでも新しい何かを得られる。

何となくだが、古典名著を読んだ時の印象は「ふ~ん」→「良くまとまっているな」→「なるほど、こういうことだったのか!」→「深い・・・」→「!!!」というように変化すると感じている。

 

このような理由から、コンサルタントになってすぐに古典名著を読んでも、得られるものはかなり少ないと思っている。

しかし、これが「コンサルタントになってすぐに古典名著を読む意味が無い」ということには繋がらない。

 

前述のように、得られるものは自分自身の経験(の中で吸収したこと)の総量に依る。つまり、古典名著を読み返すことで、自分自身の成長を測ることができると考えている。

逆に、読んだ印象が「前に読んだ時と変わらない」と感じたとしたら、その間の成長が無かったということかも知れない。惰性に入っている状態。

 

コンサルタントの成長というのは、初めのうちは実感し易い。「できること」が日々増えるし、任されることも徐々に拡がる。

しかし、マネジャーに昇進したあたりから、そのような実感が減って行くと思う。むしろ、色々と見えない壁に当たることで「後退している」と感じるような局面が増えて来ると感じている。(優秀な人は違うのかも知れないが)

そのような時に、以前読んだ古典名著を読み返すと、その間に経験したものが投射されて新たな示唆を生み、少なからず何かが自分の中で積み上がっていることが感じられる。

 

この基準点を作るために、若手のうちに読んでおくのも良いと感じている。

 

自分自身はコンサルタントになって2年位が経過し、少し余裕が生まれた(かつ、少しつまらないという感じを持った)頃に、色々と古典名著を読むようになった。

その頃には多少なりとも経験をしたものが有ったので、「なるほど、こういうことね」といった感じで読んでいた覚えが有る。

その後、幾度かパラパラと読み返すことをたまに行っていたが、受ける印象が一番大きく変わったのは、マネジャーも終盤に差し掛かり、大きな壁に直面していた頃。

正確に順序関係の記憶は無いが、かなりもがき苦しんでいた時期で、その打破のために基本に立ち返る等の様々な試行錯誤を行う過程で古典名著も読んでいたと思う。

読んでいて、ふと、それまでバラバラに捉えていた組織のメカニズムのようなものが、何か一つに繋がるような感じを受けた。アニメで出て来るシーンのように、ガチャガチャっと全てが結び付いて行くような錯覚。

これが、自分自身のコンサルスタイルが大きく変わり、また、大きく変わったと当時のパートナーからも評価されるようになった時期。

(その際、それまでに「役に立たない」と思って捨てていた古典名著を再び買い集め、一気に読み進めた覚えが有る)

 

その時に初めて読んでも同様のことが生じたのかも知れないが、若い頃から幾度か読むことで、自分自身の中の変化に気付けたことは非常に貴重だったと感じている。

 

 

古典名著は、特に若手の目先の仕事には殆ど全く役に立たないことが多い。

そのため、仕事に追われた状態だと読む時間を取るのはどうかとも思う。それよりも先に学ばないといけないものが多いと思う。そちらを優先すべき。

しかし、GW位はそのような時間に充てても良いのではないかと思う。

 

 

なお、「ビジネス書」ではないが、ビジネスに関連する超古典名著。

それぞれ非常に有名な本だが、ここまでは普段はなかなか手を出し辛いので、この機会に読んでみるのも良いのではないかと思う。

 

クラウゼヴィッツ戦争論

戦争論 上 (岩波文庫)

戦争論 上 (岩波文庫)

 

 

(いきなり読んで挫折しそうな人はこちらから・・・。)

 

マックス・ヴェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

 

渋沢栄一論語と算盤」

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)

  • 作者:渋沢 栄一
  • 発売日: 2010/02/08
  • メディア: 新書
 

 

抽象化の粒度を見極め、適切なメタファーを用いる

顧客に対して自分の考えをまとめて提言する際に重要なのは、どの程度の粒度に抽象化して伝えるのか、という見極めだと考えている。

 

提言内容を考える上では、かなり具体的なイメージまで思考を落とし込むことが必要だが、そのまま顧客に伝えても、相手が理解しきれないことが多くなると思う。

相手の性格や、そのテーマに関する理解度や関与度によっても変わって来るので一概には言えないが、具体的なイメージまで落とし込んだものをしっかりと伝える、というスタンスで臨むと、枝葉末節は伝わったが本質が伝わっていない、ということも生じ易い。

 

そのために抽象化が必要。

抽象化の際には、無駄な情報を排除する一方で、本質を失わないレベルに粒度を保つことが必要。

正確に伝えることも重要だが、正確性に拘ると分かり辛くなる。一方で、抽象化し過ぎると、単に薄っぺらいて提言になる危険性が有る。

粒度をどの程度にするのか、その上で何を残すのか。この見極め。

 

その上で重要なのが、その示し方。

抽象化する際には、伝えたいことを損なわず、かつ、冗長にならないような「フレーズ」に落とし込むのが良いと思う。

抽象化は、一歩間違えると意図に反した伝わり方となる。

そのような状態に陥らないためにも、フレーズの核となり、提言の本質を端的に表すキーワードを見出すこと。これが勝負の大きなポイントだと思っている。

 

プロジェクトの提言は

  • モヤモヤとしている顧客の頭の中をスッキリと整理する
  • 顧客の思考方法を切り替える

という2つの種類が有ると思う。

 

いずれの場合でも、適切な隠喩(メタファー)を見付け出すことが非常に有効だと感じている。そして後者の場合には、更にそれを象徴的な対比として用いることが必要だと思う。

相手にそのメタファーを伝えるのか、あくまでも自分の考えを整理するために用いるのか。それは時と場合による。伝えることで相手にとっては逆に分かり辛くなるケースなども有る。

しかし、適切なメタファーを用いると思考はかなりスムーズに流れると思う。仮に伝えなくても、メタファーを用いて自分自身の頭を整理できれば、自分の口から出て来る言葉は以前よりもすっきりすると思う。

 

以前、ある顧客に、聞き方によってはかなり失礼なメタファーを用いて「あなた達は〇〇です」と言い切ったことが有る。

〇〇に入るのは10人居たら9人は嫌うのではないかと感じるような食べ物。しかし、残りの1人は病みつきになる。

私の中で、この会社を表現するのはこの言葉しかないと思った。

この会社は「みんなに好かれる会社」を目指すような戦略を取っていたが、これにより強みを失ってしまっている。そのため、「あなた達は〇〇です」という表現により、戦略を考える上での前提認識を正す(矯正する)ことが必要だと思い用いた。

 

この時は、この食べ物でなければダメだった。

特徴がその会社の特性に合っていないといけないし、100人中1人に好かれるのではダメ。10人中1人位には好かれる。しかも、パッと聞いて分からないといけない。

この際には、まずは「好き嫌いがはっきりと分かれる」ということを伝えたかったので、それを何で表現すれば良いのかと考え、食べ物での表現を考えた。その上で、伝えたい特性を食べ物に対する表現で置き換えると何なのか。そのようなことを考えていたような覚えがある。

 

 

抽象化した際に良く使われる(し私も使う)表現として「個人戦団体戦」といったものも有る。これは、この状態だと抽象度が粗すぎる場合が多い。(それでもこの表現を使うのは、団体戦という意識すら皆無な場合が多いからだが)

そのため、仮に団体戦だとしても、それが例えばサッカーなのか野球なのか。これもメタファー。

 

例えば「野球からサッカー」というのは一つの対比として特徴的な変化を表現できる。もしくは、「あなた達が闘っているのは野球ではなくサッカー」だと、モヤモヤを整理する際に使える。

これは、分業が明確な野球とそうでないサッカー、ということを伝えることもできるし、特定の国でのみ普及している(言ってみるとローカルな)野球と世界の隅々まで浸透しているサッカーということも同様。

また、サッカーの中でも「小学生のサッカーとプロのサッカー」や「イタリアのサッカーとスペインのサッカー」といったような対比などにより、「同じゲームに見えるが違う」といったことを伝えることも可能。

 

野球とサッカーのような違いなのか、サッカーの中での違いなのか。サッカーの中の違いとしたら何が違うのか。

適切なメタファーを用いるためにも、具体的に考え抜いた提言内容を抽象化させ、要するに何なのか/何が違うのか、これを研ぎ澄ますことが非常に重要。

これにより用いられたメタファー自体も相手の理解を促すし、メタファーを探す過程が自身の思考の解像度を引き上げ、説得力を高めると思う。

 

なお、メタファーの選択肢を増やすことも重要。これは感度が高い状態で様々なことに接すること。

これもコンサルタントにとっては大切な肥やしだと思う。

「専門家」となるための要件

先日書いた下記の記事に絡むこと。

takashi-kogure.hatenablog.com

 

色々と書いたが、若手のうちに転じることを考えると、正直、どの道を進んでも大差無いとは思っている。

3年や5年程度コンサルファームで勤務したとしても、本当の意味での経営や戦略に関する知見を得られるとは思えない。あくまでも座学の延長程度。優秀であり、かつ、意識が高い人であれば、どの業界出身でもPEファンドに転じて数年内には埋められる程度の差。

逆に、優秀で意識が高い若手コンサルであれば、財務に関する差も遠からず埋められると思う。

どの道であっても、数年程度の経験というのはその程度の差。

 

そうすると、次のキャリアに進んだ際に前職での経験を活かすためには、どの程度の時間が必要なのか。

 

これは、「専門家」と評価されるための要件になると思う。

結局、その位の評価にならない限り、その道での経験というのは、他社との競争上の必要条件を全て満たした上での差別化要素にはなるが、それだけで意味の有る「武器」にはならないと考えている。

(参考:「コンサルタントの競争における前提要素と差別化要素」

 

では、「専門家」となるためには何が必要なのか。

 

まず、アカデミックな側面に関しての「専門性」については、Ph.Dを取ることが自他共に「専門家」と認める要件だと思う。

例えば情報技術やライフサイエンスなどの学位を持っているということは、少なくともビジネスの世界ではそれだけで「専門家」として称するに値するものであり、明確な武器になると思う。

(この人達がアカデミックの世界で生きるとすれば、全く話は違うだろうが)

この人達は取り敢えず別の話。

 

実務の世界での「専門家」は、一つは「10,000時間」といったような時間を尺度として語られることが有るが、これは一面としては正しく、一方で誤っていると思う。

まず、時間を掛けないと話にならないのは確か。10,000時間が正しいのか否かは別として、相当の時間を割くことが必要だと思う。

しかし、この時間を単に実務一辺倒で過ごしても「専門家」とは言えないと思う。実務と理論、両面から攻めることが必要だと思う。

そもそも、仮に実務で10,000時間を掛ければ「専門家」になれるのだとすると、1日8時間、年220日勤務と仮定すれば、5年半程度で達する。

実際、企業での勤務の中では無関係な業務も多いが、精々10年間。

「専門家」をどの程度の水準を持って称するか、ということに依るが、「Specialist」であれば分かるが、「Expert」とは言えないと思う。

 

あくまでも一つのイメージとしてだが、博士後期課程の3年間、仮に1日8時間×220日として5,000時間超。司法試験の合格のために必要な時間も最低5,000時間以上というような話を聞いたことが有るが、一つの目安としてこの位は少なくとも、理論習得に充てていることが必要だと感じる。

その上で10,000時間程度の実務が掛け合わされば、それなりに行くような気がしている。

 

理論5,000時間+実務10,000時間。経験獲得と、その体系化。

時間的な面ではこの位は要件になるのではないかと感じる。

 

とは言え、時間をかければ誰でも「専門家」になれるというわけではないと思う。

時間を掛けた鍛錬に加えて(もしくはその前段で)必要となるのは、「その道で勝負する」という「覚悟」だと感じている。

 

コンサルタントを長年務めていて、ファーム内で色々な人を見て来ている。その中で、同じような経験年数、実績を積んでいる人でも、「経営(正確には経営支援)の専門家」と感じる人とそうでない人に分かれる。

この違いは、一つにはコンサルタントという仕事への向き合い方に依る。特にシニアなマネジャー以上になった後に「コンサルタント」と捉えるのか「セールスパーソン」と捉えるのか。どっちが良い悪いではなく、「専門家」になるためには前者の意識が少なからず必要。

それに加えて、本当に「コンサルタント」として勝負する覚悟を決めているかどうか。これが決定的な差に繋がっていると感じる。

 

「その道で勝負する」と覚悟を決めて初めて、「専門家」に向けた扉が開くと感じている。それまでは、「Specialist」にはなれても「Expert」にはなれない。

 

「専門」の捉え方は色々と有るが、それを「ビジネスの世界で闘う上で依って立つ武器」と捉えるのであれば、何らかの「専門」を持つ必要が有ると思う。

そのためには、どの道(軸)で闘うのかを定め、覚悟を決めることが不可欠。

 

キャリアの上では、まずはこの軸を定めることを意識する必要が有ると思う。