プロフェッショナリズムを追求する旅

戦略コンサルタントという理解し難い職を通じて感じるところ等々、徒然に書いて行きます

セレンディピティを意識することが必要

年齢を重ねるに連れて意識しなければ、と私自身が強く感じているのが「インプットの幅を広げる」ということ。気付くと自然と幅が狭まっているので、たまに意識して広げるということを行う必要が有ると感じている。

 

アウトプットの質を高めるために、やはり絶対欠かしてはいけないのがインプット。質と量という観点がよく言われるが、それと同時に「幅」。インプットを増やせばアウトプットの質が高まるわけではないが、とは言え、インプットはその必要条件になると思う。

 

ソーシャルメディアの発達などにより接するインプット量は増えたと言われる。確かに膨大な量の情報が流れ込んでは来るのだが、その幅という点を考えると、むしろ狭まっているように感じる。

 

情報を自分で選別しなければならない時代なので、自分の興味・関心が向く情報だけを選んでしまう。また、各種サービスも行動履歴を基にリコメンドや掲載情報を選別して来るので、そもそも接触する情報も非常に偏りが生じやすい。

以前、あるニュース系のキュレーションサービスを使っていて、ふとした時に、「これは危険」と感じ、即座にそのサービスの利用を止めた。自分の考えと反するような情報がどんどん入らなくなって来るという感じを受けた。表面的には多様な視点から意見が交換されているのだが、近しいセグメントの人が集まっていることで、根の部分が結局は同じだと感じた。

 

ただでさえ、年齢を重ねると、新しいものに対する感度が下がって来ると思う。

それに、ネットが当然の時代の情報との接し方は、それに拍車をかけると感じている。

 

そのため、セレンディピティを意識することが必要だと強く感じる。

生活の中で如何に偶発性を高めるのか。

 

新しいものに対する感度を下げるのもネットなら、感度を上げるのもネットだと思う。結局、ネットはあくまでもツールで、如何にそれを使うのか。

 

実社会だけだと、人間関係は本当に同質化しかねない。価値観・思想が全く異なる人の考えを聞く、という機会はかなり限られる。「本音の意見を交換する」というのはそれなりに人間関係が出来上がらないと難しいが、Twitterなどだと、交換までは難しくても、少なくともそのような人の考えを聞くことはできる。

意図的に「考えが違う」人が発する情報を見るようにすると、新しい発見が色々と有ると感じる。

 

セレンディピティという点でもう一つ意識しているのは、人が「これは良い」と勧める本は、少しでも関心が湧いたら取り敢えず買うこと。

書店で色々な棚を眺めるのはよくやっているのだが、全く知見が無い領域の本は手を出し辛い。全く興味分野が違う人が勧める本は、視野を広げる上でかなり有効。全く無関係と感じるような本を読んでいる中で、提案していることへのヒントを得るということは非常に多く有る。

結果的に読み始めてすぐに止めて捨てるケースも多いが、100冊買って1冊でも視野を広げる上で有効に働けば、投資対効果としては十分。

 

セレンディピティは偶然的な出会いによるものだが、その出会いを自身にとって有益なものにするためにはアンテナを立てていることが必要。そうでなければ単に挨拶だけして終わってしまう。

多分、「待っている」というような意識ではダメで、「捕まえに行く」というような意識でいなければならないのだと感じる。

特に年寄りには。

スタッフとしての着実な歩みでマネジャーまで辿り着くのか

先日、Twitterで書いた下記の件について。

 

ファームにおけるコンサルタントのキャリアは大きくスタッフ、マネジャー、パートナーという形で進んで行く。

この点について、本来のコンサルタントという仕事で言えば、「パートナー」と「スタッフ」という2階層しかないと考えている。「マネジャー」という職位は実は非常に曖昧なもの。

とは言え、今日の主旨からは外れるので、これは改めて書きたい(と思ったことが以前にも有った気がするが、全ては思い出したら書く)。

 

 

ファームに入った人がまず目指すステップであり、かつ、日常的に多く接する「マネジャー」という立場。

マネジャーの役割は、ファームによって結構違う。

大きくはファーム毎の

  • パートナーの案件受注後の関与度の違い
  • 営業責任の有無の違い

によって、何が/どこまで求められるのか変わると思う。

とは言え、スタート地点について言えば大きく変わらない。

 

その時、スタッフとして着実に歩みを進めていればマネジャーに辿り着けるのか、という点について。

 

昇格要件についての考え方(スタッフとして十分な評価であればマネジャーに昇格させるのか、マネジャーに必要な要件を満たして初めてマネジャーに昇格させるのか)によっても多少変わるとは思うのだが、基本的に「マネジャーに昇格する」ということだけであれば、スタッフとして着実に歩んでいれば殆どの人は達することが出来ると思う。

以前書いた記事内でも述べたのだが、マネジャー手前まではそこまでセンスは問われない。

(参考:「『まあまあ優秀』までは意識次第で行ける」

確かにスタッフとしては優秀だが、マネジャーとして決定的に欠ける要素が有る、ということで昇格を見送るケースも有るのだが、殆どの場合、スタッフとして十分な評価が得られていれば取り敢えずマネジャーに昇格させる。

 

しかし、「マネジャーに昇格する」ということと「マネジャーが務まる」ということは、全く異なると言って良いと思う。

これは、「マネジャーに昇格する」は言ってみれば「スタッフとしてゴールした」ということに過ぎず、そこから「マネジャーが務まる」=「マネジャーとしてスタートする」ということの間に、大きな溝が有るということ。

 

これが、Twitter内で書いた「マネジャー昇格までならば、200億年の道のりに見えるが、実はみんなある所でどこでもドアを使っている」ということ。

ここでは便宜上「マネジャー昇格までならば」と書いたが、実際にスタッフから見て遠くに見える「マネジャー」というのは、単に職位を名乗っているだけでなく、プロジェクトマネジメントが務まっている人のことを指すと思う。そのため、これは「マネジャーが務まるまでならば」と言い換えた方が良いと思う。

 

ファームのキャリアの中で、脱落者が最も多いのはこの時期ではないかと思う。

(正確には、入社数年のアソシエイト時期で辞める人が多いとは思うが、これは「脱落」よりも「合わない」とか「思っていたのと違う」というようなものだと思うので)

 

基本的にマネジャーの少なくとも前半時期の仕事の大半は、アソシエイトの仕事の延長線上に有ると思う。必要な作業を特定する、組み立てる、といったことが中心であり、これらはアソシエイトでも優秀であれば当然にやっていること。

しかし、決定的に違う点が有り、それらは「気付き」のようなものが必要になって来ると思う。気付きさえすればあっという間に越えられるし、気付かなければいつまで経っても越えられない。その「気付き」が「どこでもドア」と表現したもの。

 

要するに、スタッフとして着実に歩んでいるだけでは、マネジャーには辿り着かない、と考えている。

 

 

では、何が違うのか。

一つは以前に下記のブログで書いた点。

takashi-kogure.hatenablog.com

 

要するに、顧客を見て仕事をし、自分自身で目標・ゴールを設定できるのか否か。

特に「顧客が求める水準を『感じられる』ようになる」という点。ここの感覚に気付けるかどうかだと考えている。

 

 

加えてもう一点。

思考のタイプは大きく「トップダウン型」と「ボトムアップ型」に分かれると思っている。大きな違いは、トップダウン型は「抽象的認識→具体的理解」という思考の進め方をし、ボトムアップ型は「具体的認識→抽象的理解」という進め方をしていると思う。

これは持って生まれたものなのか、教育の過程で出来上がった「癖」なのかは分からないが、結構はっきりと分かれる。

 

この両者については優劣というものではなく、単に特性の違いだと感じている。

 

スタッフ(特にアナリスト)時期について言えば、ボトムアップ型の方が評価が高い人の方が多いのではないかと思う。それは、仕事の内容が積み上げ的に検証をすることが中心だから。

加えて、私自身が典型的なトップダウン型なので感じるのだが、このタイプは「ザックリと分かった」段階で「飽きる」。そのため、その後の検証作業が退屈(苦痛)に感じる。トップダウン型のタイプは若手の頃、「詰めが甘い」という指導を受け続ける・・・というのは私だけの経験だろうか?

 

しかし、「マネジャー」という仕事、もっと言えば「コンサルタント」という仕事を進める上では、どこかのタイミングでトップダウン型の思考に切り替える必要が有る。

コンサルタントの仕事の進め方は基本的に、抽象的に捉え、具体的に詰める、という形になると思う。そして、マネジャーになると前者の役割の比重が高くなる。

 

見ていると、ボトムアップ型思考の人はこの切り替えに結構苦労するケースが多い。

そして、スタッフから見てマネジャーとの距離感を感じるのは、この部分の方が大きいように感じる。

(「顧客が求める水準を『感じられる』ようになる」ということは、スタッフのうちはそもそも何も感じないように思うので)

 

トップダウン型思考のスタッフから見たマネジャーとの距離感は、パッと思い付きでの仮説の質の差になると思う。これは殆どが経験で解決する。

実際には、単に経験量を積んでいれば解決できるものではなく、以前にブログかTwitterで書いた「しゃぶり尽くす」ようなことをすることは必要なのだが、時間の問題ということの方が多いと思う。

 

一方でボトムアップ型思考のスタッフから見たマネジャーとの距離感は、トップダウン型のスタッフが感じる仮説の質の差に加えて、そもそも「仮説を捻り出せること」も差と感じるだろうし、仕事の組み立て方も大きく違いを感じると思う。

つまり、圧倒的に距離感を大きく感じるのではないかと思う。

そして、この距離感は、「トップダウン型」への転換が出来ない限り、一向に縮まらないと思う。

 

 

この「ボトムアップ型」から「トップダウン型」への転換。

「では、どのようにすれば」ということまで書ければ良いのだが、私はこの点について全くアドバイスできない。前述のように私が典型的なトップダウン型なので、そもそも「なぜできないのか」が実は分からない。

ボトムアップ型だった先輩の話を聞くのが良いと思う。

 

とは言え、これまで幾人ものこの転換を果たしたスタッフを見た限りでは

  • 「自分がボトムアップ型であり、それだと限界が来る(来ている)」という強い課題認識を持ち、思考の組み立て方についてかなりの試行錯誤をしている
  • そうすると、ある日を境にいきなり変わる

というような感じで進むと感じている。

 

「ある日を境に」というのは、本当に「ある日を境に」であり、あるスタッフは会議中にいきなり「あれ、小暮(仮名)さん、どう考えれば良いのか分かりました」と言い出し、その時を境に全く別人のようになったということが有った。

 

恐らくこれは、「自然に変わる」というものではなく、かなり強く意識しなければ見付けられない「気付き」なのだと思う。とは言え、一度気付けば、本当に一気に移動できるものだとも思う。

 

 

コンサルになってすぐには、マネジャーとの距離感はよく分からないと思う。

朧げに「この辺が違う」ということを理解し、それが「辿り着けない位に遠い」ということを感じたとしたら、それはコンサルタントとして一つ大きく成長したということだと思う。

けれども、「どこでもドア」を見付けさえすれば、実は大した距離ではない。但し、「どこでもドアを見付ける」ということを意識しないと、いつまで経っても見付からないと思う。

 

 

ちなみに、トップダウン型とボトムアップ型。

ボトムアップ型で苦労し、トップダウン型を身に付けた」人が、コンサルタントとして最も強いのではないかと感じている。

 

「現場の気持ち」に引きずられないことが必要

事業会社から転職して来たコンサルタントの一つの強みは「現場感覚」。

確かに「現場の実態や、そこで働く人の気持ちを理解している」ということはプラスに捉えられることが多く、それをアピールする人も多い。

 

しかし、コンサルタントとして重要なのは、その「現場の気持ち」に引きずられないこと。

「現場感覚」を持つということは、一側面としては確かに強みなのだが、一方で決定的な弱みにもなりかねない。

 

これは企業の役員についても感じることなのだが、「現場」に居た時の気持ちを忘れず、そこで働く人の気持ちを「理解できる」ことは有益なのだが、それが故に「経営者の視点」が損なわれることも少なくない。

必要なのはあくまでも、「経営者の視点」で必要と判断した施策を実行する上で障壁になりそうな要素や、その施策を実行した際の影響を把握/予想するということ。その施策を示したり実行に移した際に、「現場」で何が起こるのか。

 

 

経営(もしくは会社)側と「現場」側。

この両者の利益が一致する場合は良いが、往々にしてこれらの利益は相反する。

これに対して、コンサルタントはあくまでも経営側に付く。「現場」の人達の利益を損なうような提言が必要な場合も有る。

訴訟のように労使が対立し、弁護士としてどちらか一方に付いているような場合は立ち位置を取り易いと思うが、コンサルタントは見た目的に、その間に立っていたりする。しかも、経営者も表向きは「従業員のために」という建前とは異なる本音を持っている場合も多い。

しかし、間に立っているというのはあくまでも「見た目」であり、コンサルタントのクライアントは経営者。そのため、「経営者の利益」(経営者個人の金銭的利益、といった狭いものではない)を唯一無二の目的として働く。

 

採用面接の際、たまに「企業で働いている人達のためになるコンサルタントになりたい」という志望理由を聞く場合が有るのだが、それはコンサルタントの仕事ではない。

あくまでも、経営にとってベストな提言を示すのがコンサルタントであり、「現場の人達のためになる」ことを提言するのは、それが結果として経営にとって良い効果を生むからに過ぎない。

 

 

「現場の気持ち」に引きずられる理由としては、自分自身が「現場」経験を有するが故に気持ちを理解できてしまうといったことのほかに、「日々接する顧客側担当者に嫌われたくない」という心理が働くことも少なくないと思う。

最終的に経営トップに対して提言するプロジェクトだとしても、その検討過程で顧客側担当者と対峙する場合が多い。プロジェクトによっては「同士」のような関係になるような場合も有る。

そのため、日々接する人達の気持ちに反するような提言をし辛い、という心境に陥るケースや、時には「顧客の〇〇さんが~という理由で希望しているから」ということを理由として提言を取りまとめようとするケースが生じたりする。

 

正直、これらは論外。

プロジェクトで日々接する顧客側担当者については、上手く協力を得られるような働きかけが必要だが、「友達になる」とは全く異なる。

あくまでもプロフェッショナルとして接することが必要。

 

 

「現場」をしっかりと理解することは確かに重要だが、一定以上の規模の企業での経営を考える上では、過度に理解し過ぎていることは邪魔になる。

これは心理面もそうだし、「現場の常識」がゼロベースの思考を邪魔するということもそう。むしろ「現場を知らない」ことが強みとなることも有るし、コンサルタントはそれが故に価値を出せる。

 

 

医療の「トリアージ」。

個々の傷病者の気持ちを考えてしまうと、これほど残酷な仕組みは無いと思う。あくまでも「集合」として見て、その中での最適解を探る、という割り切りが無いとできない。

コンサルタントにも、この観点が必要となる場合は少なくない。

 

プロジェクトでも、自身の「現場」での経験を踏まえて物事を考えたり、日々接する顧客側担当者と心を通わせることも全てを否定するわけではない。

しかし、それらはあくまでも手段。それによって思考にブレが生じることは絶対に避けることが必要。

 

プロフェッショナルとしての立ち位置は常に意識することが必要だと思う。

スタッフ時代に必要な仕事への臨み方

以前、下記のような記事を書いたが、今回は仕事に対する「姿勢」のような点について。

takashi-kogure.hatenablog.com

 

 

多くのファームでアナリストとアソシエイトははっきり分かれているが、敢えて「スタッフ」と一つに括ったのは、本質的にこの2つは同じものだと思っているから。

スタッフとマネジャーの間、マネジャーとパートナーの間という2つのタイミングで非連続的な成長を遂げないといけないと考えている。逆に言うと、アナリストとアソシエイトの間は基本的に同じような姿勢で取り組めば成長できるはず。

(参考:「非連続的な成長のポイント」

 

先日の記事の中で、マネジャーになるまでに「強靭な足腰」と「幅広い種類の案件の経験」を身に付けるべきということを書いたが、それらを踏まえて。

 

スタッフの時期は、とにかくインプット量と作業量を増やし、

  • コンサルタントに求められる知識を一気に吸収すること
  • 調査・分析、スライド作成という基本スキルのスピードを徹底的に上げること

に注力すると良いと思う。

この時期は、案件にアサインされたら、その案件をしゃぶり尽くして欲しい。

 

今の若手は学生時代から、本や人の話などを通じて「コンサルの思考とは」といったことを学んでいることも多いが、当然、外部から実際のコンサルの仕事の本当の中身を見ることはできない。

言われたことを正確に・期限内にこなすのは大前提。その上で

  • 先輩が仕上げたExcelシートを隅々まで、穴が開くほどに見る
  • パートナーやマネジャーが作ったスライドを真似て作ってみる
  • ミーティングのメモを作り、元の文字が見えなくなるまで赤入れしてもらう
  • 隙を見付けて「どうやってこの考えに至ったのか」という頭の働かせ方を聞き出す

等々。

どのような本にも載っていない至極の手本が目の前に有るはずなので、とにかく隙を見付けてしゃぶること。

 

作業スピードについては、早い段階で「分析屋」として優秀な先輩が作業する際に後ろに立たせてもらうと良いと思う。もしくは画面に映しながらやってもらう。

これは「どのくらいのスピードが求められるのか」を理解するため。

若手を見ていると、傍から見ていると作業スピードが遅いのに、出来る気になっているというケースが結構有る。スタッフが作業しているのを後ろに立って見たりすると、苛々する位に遅い・・・とか。

コンサルになった頃にイメージしている「スピードの速さ」の水準と、実際に求められる「スピードの速さ」は違う可能性が有る。この乖離は早い段階に埋めた方が良い。

 

とにかく、スピードが高まるまでは変に「コンサルタント」であることを意識するよりも、「作業マシン」としてのスペックを高める位の意識で良いと思う。イメージとしては入社から1年位。

 

 

その上で、スタッフの卒業(マネジャーへの昇進)時期が話題になり始めたら、経験の種類を増やすことに意識を広げると良い。

 

この局面に至るまでは、複数の案件に同時に入るということは望ましくないと考えている。

ファームによっては複数案件へのアサインをする場合も有るが、私の考えとしては、一本の案件について朝から晩まで考え続け、先輩の一挙手一投足を見逃さないようにする方が良いと思っている。

 

しかし、スタッフ最後の1年もしくは2年は、なるべく数多くの案件に入り、色々なテーマ・色々なコンサルスタイルに触れた方が良い。

マネジャーになると色々と制約が出て来て、なかなか「やったことないけどやってみます」というわけには行かなくなる(やるなら失敗は許されない)。

「経験の種類を増やすために案件に入る」ことができるのはスタッフの間だけと考えた方が良い(苦労する覚悟さえ有ればマネジャー以上でもできるが)。

 

コンサルタントとしての生活も2年目が終わる頃になると、色々と自我が出て来るし、「自分はもっとできる」という自負も生まれる。

最初は先輩の「凄い所」に圧倒されていたのに、だんだんと足りないものの方が目に入って来る。また、やりたい領域、「こんな先輩のようになりたい」というものも徐々に明確になって来る。

けれども、もう少しの間は、奴隷のように、とにかく与えられたこと/言われたことに邁進する方が良い。まだまだ見えていないものが多過ぎる。

 

将来に対して無限の可能性が有ることが、年寄りから見た若手の最大の魅力。

私が「若い頃に戻りたい」と思うのはその点だけ。それ以外の理由では、間違っても若い頃に戻りたくはない。

偏った知識・経験だけで将来像を描き、様々な選択肢を捨ててしまうのは、せっかくの可能性を奪ってしまうことになる。

また、少なくとも私が若手に「こうした方が良い」というものには、自分自身の後悔から来るものも少なくない(案件を選り好んで選択肢を捨てていたのも私の失敗経験)。

若手の視野と年寄りの視野は広さ・時間軸の長さが全く違う。悪いことは言わないから、年寄りの言うことは聞いた方が良い。

 

 

今の時代に許されない表現ということを重々承知した上で、やはり、「スタッフ時代には奴隷であれ」と言いたい。

 

とは言え、ただ言われたことをやる、本当の意味での奴隷にはならないように。

常に頭はフル回転。視座の高さまで奴隷になってはダメで、指示された内容はどんな意味なのか、最終的にパートナー/マネジャーは何を言おうとしているのか、等々、意識だけはあたかもパートナーのようであること。

自分の考えをぶつける→殆どは瞬殺されるを繰り返すこと。

あくまでもその上で、上位者の言いなりになること。

 

本当の奴隷と違って、納得すれば素直に従うということさえ分かっていれば、口答えすることは歓迎されるのがファームという環境。上位者も、スタッフを動かすためには合理的な説明が必要ということは百も承知。

 

重要なのは一つ上の仕事を奪い取ること。

そうでないと少なくとも戦略系ファームでは生きていけないと思う。

「まあまあ優秀」までは意識次第で行ける

 昨日書いた下記の記事に対する補足。

takashi-kogure.hatenablog.com

 

コンサルファームにおける評価の軸は

  • 資質
  • 能力・スキル
  • 意識(マインド)

の3つの要素が有ると思う。

 

資質は主だったものとしては頭の回転。

能力・スキルはコンサルの仕事を進める上でほぼ全てをカバーするもので、数値分析やプレゼンテーションといった表面的に見えるものから、思考能力といった見えないものまで含む。

意識は文字通り。

 

この中で、「資質」に関しては先天的なもので勝負がほぼ決まると個人的には考えている。正しくは、後天的にどうにもできないものを「資質」と呼び、後天的なものを「能力・スキル」と称している、というのが正しいかも知れない。

例えば「論理的思考能力」と言うものは、「テクニック」に近い性質も有り、これはある程度訓練で身に付けることが出来る。とは言え、コンサルタントとして勝負する上で求められる「論理性」については、正直、訓練でどうにかなるものではないと感じている。

 

一方で、「能力・スキル」と「意識」については、スタッフレベルであれば、どうにかなると感じている。

そして、この2つについては、「意識さえ備わっていれば、能力・スキルは後から付いてくる」と感じている。

「意識」が先で、「能力・スキル」が後。

 

 

これらを踏まえて「優秀」と評されるために。

 

「頭の回転やコミュニケーションといった要素は前提とする」と書いたが、この部分について補足。

 

「かなり優秀」と評価されるためには、これらの要素について同期などの中で上位2割に入っていることが必要条件だと思う。

一方で、「まあまあ優秀」という評価を受けるためであれば、少なくとも戦略系ファームに関しては入社時にかなり選別されており、下位2割に入らなければ、必要条件としては満たしていると思う。

但し、これはあくまでも「スタッフとして」という前提において。

 

スタッフのうちは、資質を能力・スキルである程度カバーできる。そして、それは意識によって何とかなる。

つまり、スタッフの間に限定すれば、(ファームの選考に通過した人であれば)8割程度は、意識次第で「まあまあ優秀」以上の評価を受けられると考えている。

(マネジャー以上になると、努力だけではどうにもならない部分が増えて来ると感じているが)

 

正直、スタッフレベルで「まあまあ優秀」と「普通」の間で、資質について有意な差は殆ど無いと感じている。意識の持ち方と、それに基づく行動の徹底度合いで決まると考えている。

結局、昨日書いたのは、この「意識の持ち方」の部分になる。

 

特に戦略系ファームの場合、平均程度の人でも地頭などは非常に良い。

しかし、間違った意識の持ち方、仕事への取組み方によって差を付けられることが多く、勿体無いと感じることが非常に多かった。

 

しかも、入社時点での意識差はそこまで大きくないと思う。

そもそも、「まあまあ優秀」という評価を受ける人も、最初はそこまでしっかりとした意識が出来上がっていない場合が多い。「勘違い」が多い、と言えるかも知れない。

しかし、結果的に高まる人は、入社後早い段階で意識が大きく変化していると感じる。これは上位者・先輩からの指導によることも有るし、自分自身で気付く人も居る。いずれにせよ、仕事に対する取り組み方・考え方が大きく変わる。

「最初はしっかりとした意識が出来上がっていない」と書いたが、「意識も含めて自分を高めたいという意識が高い」とは言えると思う。このような気概と素直さを持っている人の評価が高まる。

逆に、「普通」で終わる人は、どこまで行っても意識面で欠けている要素が消えない。

 

能力・スキルについては、どの道、コンサルタントに求められる要素は多過ぎて、全てを網羅することは不可能。

確かにExcelを用いた分析等は基本で、それが欠けていると全く通用しないのだが、仮にそれを身に付ける機会が無いまま経過したとしても、意識さえ有れば、ビジネスDDを1,2本、本気でやれば、簡単に解消できる。その程度のもの。

 

能力・スキルについては、それ自体の高低よりも、「能力・スキルを習得する能力」の高低の方が数段重要。そしてこれは「意識」に他ならない。

 

 

精神論になってしまうが、これらのことはコンサルタントに限らず言えることだと考えている。

 

私は最初の会社に入社時、新規営業が主な仕事だった。

営業という仕事は「センスが必要」ということを良く言われる。確かに、「スーパーセールス」と言われる人は、私が見て「凄い」と思う人から見ても違うらしい。

しかし、そのようなほんのごく一部を除くと、成績の差は意識とそれに基づく行動の差で説明が付くと思う。

 

新規営業の場合、ザックリ言えば「アプローチ数×成約率」で成績が決まる。

そうすると、成績を伸ばすためには

  • アプローチ数を増やす
  • 成約率を高める

の2つの方法しかない。(勿論、もっと分解して考えているが)

 

成績が上がらない人に限って、アプローチ数が足りない(要するにサボっている)し、成約率を高めるために頭を働かせる(様々なことを試したりする)ということをやっていない。

そして、成績が上がらないことを「センスが無いから」という理由で片付けようとする。

 

コンサルで言えば、マネジャー手前まではそこまでセンスは求められないはず。

仮にそれまでの段階で評価が上がらないとすれば、意識が足りないか、それでなければ根本的に資質が欠けているのか。

 

 

一つ重要なのは、「必要な意識を備えている」と自分では考えているが、傍から見ると「勘違い(しかも相当に)している」というケース。これは少なくない。

これを避けるために、先輩などに意見を求めることが必要だと思う。

 

コンサルファームにおける「優秀」という評価の理由

Twitter上で質問を受け、以前から書こうと思っていたことでもあったので、ここでまとめてみたいと思う。

 

「コンサルファームにおいて『優秀』の定義とは何なのか」

 

なお、前提として、「コンサルタントとして」ではなく「コンサルファームにおいて」という話をする。これらは特にスタッフの話だと異なって来ると考えている。

コンサルファームにおけるスタッフの役割は、「コンサルタント」が行うことの一部を機能特化させたようなものだと思う。そのため、「コンサルファームにおいて」優秀と評価される人が、必ずしも「コンサルタントとして」優秀とは限らないと思う。

 

加えて、取り敢えずスタッフに限る。

理由の一つとしては、マネジャーになるとファームや部門によって求められる役割がかなり違うため。

もう一つの理由は、マネジャーの中でパートナーに近い立場とスタッフに近い立場(要するにシニアなマネジャーかジュニアなマネジャーか)によっても全く求められるものが変わって来るため。

いずれにせよ、話が個別具体的になるため。(考えをまとめようと思ったが、分類が多くなり過ぎるので止めた)

 

また、「かなり優秀」と評価される人について、評価者が変わっても評価が変わることは殆どない。しかし、「まあまあ優秀」程度だと、一部で評価が分かれる場合が有る。

これは、能力・スキルの問題ではなく、意識の部分で意見が分かれることが多いと感じている。

 

 

では、どのようなスタッフが「優秀」と評されるのか。

 

頭の回転やコミュニケーションといった要素は前提とする。敢えて書くまでもない。

これらはコンサルタントとして生きて行く上で「必要条件」のようなもの。これらを備えていなければ優秀でないのは当然。

 

その上で必要なことは

  • 安定感
  • 持続力
  • 好奇心
  • 主体性

という4つではないかと思う。

 

安定感

これは「案件によってぶれないこと」と「日々の作業でぶれないこと」の2つが有ると思う。

 

前者は、テーマに対する関心やマネジャーとの相性によるパフォーマンス差が大きく出ないということ。

スタッフについては、「当たると大きい」というタイプは計算が出来ないので非常に使い辛い。自分が関心の無い案件にアサインされると途端に「やっつけ」的な仕事になる人が居るが、これだと高い評価は得辛いと思う。

 

後者も結局は同じことだが、気分のムラなどでのパフォーマンス差が大きいと厳しい。

例えば、集中力が欠ける日には作業スピードが落ちたりミスが多く生じたりするタイプ。このような人の場合、上位者は仕事を割り振る/確認する際に、「パフォーマンスが下がっている状態」を前提とすることが必要になる。

ある人のパフォーマンスが高い時には100、低い時には30、平均で80であり、他のスタッフの平均が50だとした場合、平均で見ると相対的に優秀のはずなのだが、実際の評価は「30」で見られて烙印を押される、といったこと。

 

要するに、上位者から見て「計算できる」ことはかなり重要。

 

 

持続力

評価が大きく分かれるのは、プロジェクトの大詰めや難局などの「肉体的にも精神的にも厳しい」状態に陥った時だと思う。平常時だと能力・スキル相応の差になるが、このような状態になると、必ずしも能力・スキル差=評価差にならない。

 

コンサルタントとして求められる一つの大きな要素が「極限まで考え続ける」と言うこと。

明確な答えが無い問いに向き合っているので、「ここまで考えれば終わり」というゴールは無い。特に若手スタッフの場合には、「考え抜いた」と自分で感じていてもかなり浅い状態にあることが多い。

そのため、締め切りギリギリまで、しかも常に考え続けること。これが必要になると思う。

 

優秀と感じるスタッフとそうでないスタッフの違いは、プロジェクトの報告会が終わった後の帰り道に結構色濃く出るように感じている。

優秀なスタッフは、帰り道にも案件に絡む議論をし続けている。要するに「締め切りギリギリ」どころか「締め切り後」にも考えている。

しかも、別に「仕事」としてではなく、「個人的興味」として議論をしているように感じる。

 

やはり、仕事を「仕事という割り切り」の中でやっている限りは難しいと思う。

論語にある

知之者不如好之者

好之者不如楽之者

 (これを知る者はこれを好む者にしかず。これを好む者はこれを楽しむ者にしかず。)

ということかと思う。

 

 

好奇心

優秀なコンサルタントは例外無く、好奇心が極めて強い。

これが前述の持続性などにも繋がっているのだろうが、新しいことを学ぶこと/知ることを「楽しい」と感じられる性格が必要。

 

とは言え、単に好奇心が強いだけだと単に「物知り博士」で終わる。

コンサルタントとしては、好奇心によって得た知識を用いて、「気の利いたアナロジーを示す」ことが出来るかどうかで、評価が大きく分かれると思っている。

戦略コンサルの生命線は、洞察を基に概念化/抽象化することだと考えている。特に概念化/抽象化をするに際して、アナロジーが活きるケースが少なくない。

これは、意味の有るアナロジーとの共通点こそが「概念化/抽象化の鍵となる本質部分」になるから。

 

そのためにも、単に知識をストックするだけでなく、その過程でビジネスや人間行動などと照らし合わせることが必要なのかと感じる。

 

ちなみに、これは因果関係が有るのかどうかは分からないが、相関関係は有りそうなこと。

 

「優秀な(スタッフに限らず)コンサルタントは、かなりの量の漫画を読んでいる」

 

勿論、漫画以外の本もかなり読んでいるが。

 

 

主体性

優秀なスタッフが「作業のやり方(How)」を聞いてくることは皆無。

逆に「何をゴールとするのか(What)」と「何のためにやるのか(Why)」をかなりしつこく聞いてくる。これが明瞭になるまで作業に取り掛からない。

そして、全く見当が付かないような状態から「What」に向けて「How」を捻り出す。どれだけ難しい「What」に対しても「How」を創り出せるのが優秀なスタッフだと思う。

 

論外なのは「やったことないです」という発言。スタッフの「やったこと有るもの」など非常に限定的で、仕事の多くが「やったことない」こと。これに取り組むスタンスは決定的な差になる。

 

そもそも、「やり方を考えるのが仕事」であり、やり方が定まり、それに従って進めるのは単なる作業者。そのような人に高い報酬を払う必要は無い。

しかし、この点についての認識が決定的に欠けている人がかなり多い。

 

 

ざっとこのような所だろうか。

読書録「敦煌」

久し振りに強烈に読みたくなり、夜に酒を飲みながら井上靖の「敦煌」を読み耽った。

敦煌 (新潮文庫)

敦煌 (新潮文庫)

  • 作者:靖, 井上
  • 発売日: 1965/06/30
  • メディア: 文庫
 

 

私が最も好きな小説の一つ。約60年前の作品。

シルクロードの入口、敦煌近くの千仏洞の中から大量の経典が見付かったという歴史的な大発見。これは実際の話だが、ここになぜ、大量の経典が隠されていたのか、ということをフィクションで描いたもの。

短編だが、壮大さを感じさせるストーリー。

中国の歴史に関する小説が好きで読んでいない人が居たら、是非、読んで欲しいと思う。

 

ちなみに、私が子供の頃にNHKで「シルクロード」という番組が有った。少し前にデジタルリマスター版の放送が有り、DVD版も発売されている。

この番組もまた最高、の一言に尽きる。

少し疲れた夜に、少し良いウィスキーを飲みながら、ソファーに埋もれて見つつ、そのまま眠りに落ちるのは至福の時です。

 

なお、井上靖に関しては「楼蘭」もお勧め。

楼蘭 (新潮文庫)

楼蘭 (新潮文庫)

  • 作者:靖, 井上
  • 発売日: 1968/01/29
  • メディア: 文庫
 

こちらは短編集。

夜寝る前に一作ずつ、といった読み方も良い。