プロフェッショナリズムを追求する旅

戦略コンサルタントという理解し難い職を通じて感じるところ等々、徒然に書いて行きます

沈黙・余白を怖がらない

プレゼンテーションの際、相手に意見を求めた時などに「沈黙」が生じるとそれを埋めに行く人が居る。

相手から求められていないのに補足の説明をしたり、説明を言い換えたり。

これは止めた方が良い。

 

相手に意見を求めた際、即座に返答が無い場合というのは、自分の説明に対して相手の理解が追い付いていない場合が多い。それは説明自体の理解が追い付いていないということも有るし、提示した考えに対する理解が追い付いていない場合も有る。

 

前者の場合は補足の説明をした方が良いと思うかも知れないが、どこが引っ掛かっているのか特定できない状態で説明を加えたり言い換えたりしても、余計に理解を邪魔する。この場合は「この部分が分からない」という質問が来てから説明を加える必要が有る。

 

一方で後者の場合。これは相手が元々持っていた考えと、自分が提示した考え。この二つに乖離が有ることで違和感を持っている場合が多いと思う。

この場合に、即座に「違う」という反応を示す人も居るが、一度提示された意見を腹に落としてから意見を出すタイプの人に「沈黙」は生じ易い。

そして、これはコンサルタントとして非常に重要なポイント。少なからず自分が提示した意見が相手の中に染みているということ(「染みている」だけで「沁みている」かどうかは別だが)。間を持って議論の土台ができるのを待った方が良い。

 

 

経験が無いうちは、会議の中での「沈黙」や、資料の中での「余白」が怖くなることが多いと思う。「自信が無いうちは」と言い換えた方が良いかも知れないが。

しかし、プレゼンテーションも資料も、相手に理解して頂くためのもの。ここで重要になるのは「情報量を減らす」ということ。情報量が増えればそれだけ、理解し辛くなる。

沈黙や余白が「有るから埋める」という行動は、不必要だけれど「空いているのも気持ち悪いから」という理由で「ゴミ」を付け加えているということ。

 

沈黙も余白も、相手が「咀嚼」するために必要なもの。

プレゼンテーションの際などに、どうしても自分自身と相手との間に「前提となる理解度の差」は生じる。それは当然のことで、それまでそのことについて徹底的に考え抜いて来た自分と、その考えをパッと聞く相手。自分のペースで説明をしたら相手は付いて来れなくなる。

伝えるべきことをしっかりと伝えたなら、相手が反応するまでしっかりと待った方が良い。

 

 

なぜ、沈黙や余白が怖いのか。

前述の通り、「自信が無い」ということが理由の場合が多い。そしてそれは「十分に考え抜けていない」と更に言い換えられるかも知れない。

以前にどこかで書いたような気がするが、100ページ分考えて100ページの資料を作ってもダメ。1ページ分だけ考えて1ページの資料を作ってもダメ。100ページ分考えて1ページに凝縮させる。このようなことが必要。

同じシンプルな表現であっても、徹底的に考え抜いた上での表現は相手にしっかりと響くし、上っ面だけ考えただけでの表現は軽薄になる。

 

このように徹底的に考えた上で臨めば、沈黙も余白も怖くない。

むしろ、意図的に沈黙や余白を創り出す余裕が生まれる。所謂「間」というもの。

 

自分と同じことを言っているのに、パートナーが言ったら何か相手に刺さった、という経験をした人も少なくないと思う。

私自身、若い頃に不思議に感じていた。「パートナー」という肩書の効果だと思ったりもした。

しかし、これは違うと思う。(多少は有るが)

 

よく「大物感」とか「オーラが有る」といった表現が使われたりするが、この正体は「間」の使い方だと思っている。雰囲気が有る人は「間」の使い方が絶妙。そしてこの「雰囲気」によって相手は何かを感じ取る。

コンサルタントという仕事は無形の商材を高額で売っているものなので、このような雰囲気のようなものは重要になる。

「間」を使いこなすことは大きな武器となる。そのために「沈黙・余白を怖がらない」ということが必要になると思う。

 

なお、「大物感」といった雰囲気を持っていることがイコールで「大物」とは限らないということは付け加えておく。

しっかりとした中身を持ち、かつ、雰囲気を持つこと。これも重要なこと。