プロフェッショナリズムを追求する旅

戦略コンサルタントという理解し難い職を通じて感じるところ等々、徒然に書いて行きます

セレンディピティを意識することが必要

年齢を重ねるに連れて意識しなければ、と私自身が強く感じているのが「インプットの幅を広げる」ということ。気付くと自然と幅が狭まっているので、たまに意識して広げるということを行う必要が有ると感じている。

 

アウトプットの質を高めるために、やはり絶対欠かしてはいけないのがインプット。質と量という観点がよく言われるが、それと同時に「幅」。インプットを増やせばアウトプットの質が高まるわけではないが、とは言え、インプットはその必要条件になると思う。

 

ソーシャルメディアの発達などにより接するインプット量は増えたと言われる。確かに膨大な量の情報が流れ込んでは来るのだが、その幅という点を考えると、むしろ狭まっているように感じる。

 

情報を自分で選別しなければならない時代なので、自分の興味・関心が向く情報だけを選んでしまう。また、各種サービスも行動履歴を基にリコメンドや掲載情報を選別して来るので、そもそも接触する情報も非常に偏りが生じやすい。

以前、あるニュース系のキュレーションサービスを使っていて、ふとした時に、「これは危険」と感じ、即座にそのサービスの利用を止めた。自分の考えと反するような情報がどんどん入らなくなって来るという感じを受けた。表面的には多様な視点から意見が交換されているのだが、近しいセグメントの人が集まっていることで、根の部分が結局は同じだと感じた。

 

ただでさえ、年齢を重ねると、新しいものに対する感度が下がって来ると思う。

それに、ネットが当然の時代の情報との接し方は、それに拍車をかけると感じている。

 

そのため、セレンディピティを意識することが必要だと強く感じる。

生活の中で如何に偶発性を高めるのか。

 

新しいものに対する感度を下げるのもネットなら、感度を上げるのもネットだと思う。結局、ネットはあくまでもツールで、如何にそれを使うのか。

 

実社会だけだと、人間関係は本当に同質化しかねない。価値観・思想が全く異なる人の考えを聞く、という機会はかなり限られる。「本音の意見を交換する」というのはそれなりに人間関係が出来上がらないと難しいが、Twitterなどだと、交換までは難しくても、少なくともそのような人の考えを聞くことはできる。

意図的に「考えが違う」人が発する情報を見るようにすると、新しい発見が色々と有ると感じる。

 

セレンディピティという点でもう一つ意識しているのは、人が「これは良い」と勧める本は、少しでも関心が湧いたら取り敢えず買うこと。

書店で色々な棚を眺めるのはよくやっているのだが、全く知見が無い領域の本は手を出し辛い。全く興味分野が違う人が勧める本は、視野を広げる上でかなり有効。全く無関係と感じるような本を読んでいる中で、提案していることへのヒントを得るということは非常に多く有る。

結果的に読み始めてすぐに止めて捨てるケースも多いが、100冊買って1冊でも視野を広げる上で有効に働けば、投資対効果としては十分。

 

セレンディピティは偶然的な出会いによるものだが、その出会いを自身にとって有益なものにするためにはアンテナを立てていることが必要。そうでなければ単に挨拶だけして終わってしまう。

多分、「待っている」というような意識ではダメで、「捕まえに行く」というような意識でいなければならないのだと感じる。

特に年寄りには。