プロフェッショナリズムを追求する旅

戦略コンサルタントという理解し難い職を通じて感じるところ等々、徒然に書いて行きます

PEファンドに転じるステップとしてコンサルは適しているのか

コンサルで学んだ上で、将来的にPEファンドに進みたい、という相談を受けた。

このような人は少なくないと感じる。コンサルの次のステップとしてPEファンドを選ぶ人も居るので、そのようなパスは確かに有る。

しかし、PEファンドに転じるステップとしてコンサルが適しているのか、と問われたら、「適していない」と答える。

(投資後のバリューアップに特化するのであれば別)

 

なお、私はBDDや投資後の支援などでそれなりの数のファンドと仕事をして来たが、ファンド内部で働いた経験は無い。

そのため、ここで書く内容については、私の推察がかなり含まれているということは前提の上で。

 

そもそも、ファンドとコンサルは根本が全く違う職だと感じている。

 

端的に言えば、ファンドは純然たる金融業。そのため、求められるものもかなり金融業のそれに寄っていると思う。

確かに企業経営や戦略といったことに対する知識が求められるし、コンサルに近い提言を行っていることも有ると思う。

しかし、それは(能力の高い)メガバンクの営業担当者が顧客に対する提言を行うのと大差無いと感じている。また、経営や戦略上の課題で難易度が上がると、コンサルに発注するケースが多いと思う。

それよりも財務に関する知識の方が圧倒的に必要。

「ファンド=金融×コンサル」といったようなイメージを持っている人も居ると思うが、「ファンド=金融+α (α=コンサル、他色々)」だと感じている。

あくまでもファンドは資金を集め、投資先を開拓し、コンサルを含めた外注先等も使いこなして株式価値を高めて、イグジットにしっかりと結び付けて回収すること、これが仕事。ある意味ではゴールが非常に明確。

 

コンサルの場合、「財務」については素人に近いことが多い。

案件によっては財務寄りのものも有る(ファームによっては多い)し、私自身もM&Aのスキームを組んだりモデリングをしたことも有るが、そこまで複雑なものはやっていない。

周囲を見ていると、三表連動ですら覚束ない、というマネジャーも少なくないと感じている。知識面で言えば「財務」ではなく「会計」の範疇で、しかもP/L限定。

本当の意味での「財務」に関する知識が有るのは、金融のバックグラウンドが有る人(+その人に徹底的に鍛えられた人)に限られるような気がしている。

ファンドに転じた場合、ほぼゼロからのスタート、となる可能性も少なくない。

 

ファンドは新卒採用をやっていないことが多いので、どこかをキャリアのスタート地点に選ぶ必要が有る。その点について、投資銀行が圧倒的に望ましいというのは当然だと思う。

とは言え、投資銀行に進めなかった場合。ファンドに行くという意志が固まっているのであれば、コンサルよりもメガバンクの方がまだ良いように感じる。

現在のメガバンクの質については個人的にかなり懐疑的な目で見ているのだが、それで割り引いて見ても、コンサルファームで働くよりは良いように感じている。

その位に、コンサルとファンドは遠いものだと感じている。

 

コンサルに入った場合、戦略系ファームであれば、遅くともアソシエイトになってすぐ位には転じた方が良いと思っている。

そこまでに学ぶことは(ファンドに限らずどの業界でも)役に立つと思うし、ここまでの成長曲線は(ファームによるが)他業界よりも早い。

基本的な情報収集・分析、それに伴うExcelスキル等々。加えて、財務について自学すれば、投資銀行出身者にはかなり見劣りするが、取り敢えず十分なレベルではないかと。

 

とは言え、ファンドに居る人を見ると、コンサル出身者の方がメガバンク出身者よりも多いように感じる(数えたことが有るわけではない)。それは何故か。

それは単に、特に戦略系ファームにはメガバンクよりも遥かに優秀な人間が集まっており、その人達は(若いうちに転じれば)どこに行っても通用するということ。

別に戦略系ファームに居たからファンドで通用したのではなく、戦略系ファームに居なくてもファームで通用したはず。

 

 

このような話はファンドに限らず、道が決まっているのであれば、早い段階で転じた方が良いと思う。

コンサルファームの世代交代に思うこと

ファーム各社が世代交代の時期を迎えていると感じる。

ファームの(日本法人の)トップは一定期間で替わるものではあるが、ここ最近の交代は、今までとはやや性質が異なって来ているように感じる。

勿論、ファーム各社で異なる状況であり一概に言い切れるものではなく、あくまでも主観、かつ、かなり感覚的なものであることは前提として。

 

このように感じるのは、徐々に、「コンサルタント」という仕事が「市民権」を得てからコンサルタントになった人達がファームを率いる時代になったと感じるからだと思う。

私自身もそうだが、コンサルタントになった時に既に、「コンサルタント」というものが認知され、それなりの評価を得ていた。

 

しかし、私より少し前の世代については、そのような状況ではなかったと思う。

私が転じた時代には既に、例えばキャリア官僚からコンサルファームへの転職というのは既に結構有ったし、それに対して驚きの声を上げる人は別に多くなかった。一方で、私が転じる10年前にそのような決断をする人が居たら、かなりの衝撃だったのではないかと思う。

それ位に、ある時期を境に「コンサルタント」という仕事は急激に市民権を得て、評価を高めて来た。

 

誤解を恐れずに言えば、私より10年前以上前にコンサルタントになったような人は「かなり変な人」だと思う。「普通の人」が選ぶような道ではない。

しかし、今は「普通の人」が選ぶ道になっている。むしろ、「かなり変な人」が選ぶ道ではなくなりつつある。

 

そのため、前述した思いを言い換えると、「『普通の人』がファームを率いる時代になった」ということ。

そして、私自身が今感じているのは「少なくともプロフェッショナルたる『コンサルタント』としては、前の世代の人には叶わない」ということ。

 

簡単に言えば、前の世代に対してスケールダウンしていると感じている。「迫力が弱くなっている」という表現の方が良いのかも知れない。

 

何が違うのか、ということについては色々と考えているが、実は明確な答えが見付かっていない。

頭の良さのようなものは大差無い(むしろ、今&将来の世代の方が良い:私自身の能力がそうであるとは言えないが)ように感じるし、知識の差も変わらないと思う。

しかし、結果として「迫力」が違うように感じる。

 

一つ有るのは「覚悟」の違いなのかと思う。

 

昔のファームは前述の通り、「普通の人」が選ぶような道ではなかった。この意味は、その道に進んだ後に「『普通の人』が選ぶような道」に戻れない(戻ることが難しい)ということ。

今はファームでの経験は転職時にプラスに評価されることも多い。少なくとも、戦略系ファームで5年程度経験すれば転職で困ることは無いと思う。

しかし、昔は違ったはず。

これにより、「コンサルタントになる」という時点で相応の覚悟が求められたのではないかと思う。少なくとも、「コンサルタントとして勝負する」と決めてファームの門を叩いたのではないかと。

 

今、それだけの覚悟を持ってコンサルファームに入る人がどれだけ居るのか。

多分、皆無。

表向き「コンサルタントとして勝負する」と考えている/自分自身でもそのように「考えていると思っている」人であっても、どこかで「とは言え、駄目でも大丈夫だろう」という甘えが有ると思う。

 

加えて、以前は依って立つものが「自分自身」しかなかったが、今はファームの「ブランド」が有る。

現在ファームに属しているコンサルタントについては、多かれ少なかれ「ブランド」に支えられている。少なくとも「ブランド」に守られて育てられて来た。また、「自分で顧客を持っている」と思い込んでいる人でも、その「ブランド」が無くなった時にどれだけその顧客を維持できるのか。

 

この差が、「迫力」というものになって現れているのではないかと。

 

とは言え、この世代交代は当然起こるもの。

そして、ファーム自体も変質し、「個」から「組織」の勝負に転じつつある。この賛否は有れど、これも不可避であり、この時代に適した人材がファーム運営にあたることが必要なのも確か。

しかし、本当にそれだけで良いのか、という点は考えて行きたい。

 

コンサルタントの本来の価値は何なのか。

確かに「ビジネス」としてコンサルタントを捉えた時に、今のファーム各社が取っている方向性は正しいと思う。

しかし、この方向性が更に極まった時に、本来の価値を示すコンサルタントの必要性が強く再認識されると思う。安っぽい言葉になるが「経営者に対するアドバイザー」としてのコンサルタントの必要性。

多分、これらは今、前の世代のコンサルタントの一部が担っていると思っている。シニアなプロフェッショナルたるコンサルタント

 

本来の価値を示すコンサルタントを追求するためには、今一度「覚悟」を改めて取り組む必要が有ると感じている。

 

これらは全て自戒。

 

 

 

ちなみに、分からない人には全く分からない話だと思うが、この状況は過去の(モータースポーツの)F1での話と似ていると感じている。

 

創世期50年代から60年代のF1ドライバーは、正直、正常な神経とは思えない。腕に自信の有る無鉄砲な人の集まり。コンサルで言えば、60年代~70年代に日本に輸入されて来た「戦略コンサルタント」になったような人。

 

その後、「個」で勝負する時代が続いた。F1では70年代から80年代まで。

しかし、その後は「組織」で勝負する時代に変わった。電子化が進み、プログラムの中で「役割」をしっかりと果たすことがドライバーに強く求められるようになった。(そもそも、ドライバーの差よりもマシン(=チーム)の差の方が遥かに重要性を増した)

その結果、80年代までは極端に個性の強いドライバーが顔を揃えていたが、90年代以降、急激に「優等生」が多くなったと思う。

以前は「ドライバーがチームを選ぶ」形だったのが、徐々に「チームがドライバーを選ぶ」形になり、ドライバーはチームから評価されるために従順に(従順でないと大成できなく)なっている。

 

80年代(精々90年代前半)位までにデビューしたドライバーについては、「好きなドライバー」を選ぶ基準の多くがその性格にあったように感じる。そして、(残している結果に関わらず)熱狂的に愛されるドライバーというのが多かった。

(以前は、ドライバー同士が殴り合う、などという話もそんなに珍しくなかったが)

しかし、今のドライバーで性格で語られるような人は殆ど居ないと思う。

 

何かつまらない、と感じるのだが。

リモートワークではコミュニケーションに意図的な「無駄」が必要

今年の新卒社員が入社して半月が経つが、果たしてどれだけの新卒社員がしっかりと「社会人」としてのスタートを切れたのだろうか・・・と考えてしまうこの環境。

コンサルファームでもリモートワーク前提になっている所が多いと思うが、これは新卒(に限らず新たにコンサルタントになった)スタッフにとってはかなり厳しい環境だと思う。

 

どこの業界でもそうだろうが、特にコンサルタントについては、ファームに入って最初の時期が非常に重要な意味を持つ。

この業界での仕事は、確かに知識やスキルの要素も大きいのだが、その前提として意識がその能力を大きく左右する

 

特に戦略系ファームについては、新卒社員は非常に優秀だと思う。知識やスキルなど、本を読んだりすれば得られるものについては、入社時点でコンサルタントとして必要な水準をある程度満たしている場合が多い。(とは言え、それが故の弊害も小さくないと感じているが)

しかし、意識については不十分、と言うか勘違いしている人もかなり多いと思う。本人は高い意識を持って臨んでいるつもりなのだろうが、コンサルタントという仕事に対するスタンス、顧客との対峙の仕方等々で間違った認識を持ってしまっている。

 

ファームで生き残った人は、入社間も無い時点でこの勘違いを矯正されていると思う。

勿論、一部には入社時点でしっかりとした意識が出来上がっている人も居るが、「ごく一部」と言って良い。しかし殆どは、幾度も厳しい言葉を受けながら叩き込まれたのだと思う。

 

この部分がリモートワークでは難しい。

 

まず、これらは日常的に接する中で感じ受けることを注意する、という形を取る場合が多い。これは「プロセス」を見るため。「アウトプット」だけでは分からないことがかなり多い。

 

リモートワークではどうしても「アウトプット」重視になる。最近、「リモートワークが当たり前になると、アウトプットが重視されるようになる」という「功」の要素として取り上げられているが、育成面で見るとこれがそのまま「罪」になり易い。

アウトプットだけ見ていても、知識やスキル面での指導は難しくないが、仕事へのスタンスなどはプロセスを見ないと何とも言えない部分が多い。

それでも、ある程度性格などが読めているスタッフであれば出来る。しかし、初めて一緒に仕事をするスタッフなどの場合、リモートでの仕事だと表面的な指導に陥ってしまう。

 

他国のオフィスのスタッフとチームを組む際に、現地にマネジャーが居ない(全て日本でコントロールする)状態でほぼリモートで完結させるということを幾度かやって来たが、アウトプットが出て来ない時に、単に作業プロセスの問題なのか、もう少し根深い意識の問題なのかが判別し辛く苦労した。

 

また、意識に関する指導については、前提として「性格」や、その人のそれまでの「経験」等についての理解が不可欠。同じような事象が生じていても、相手の性格によって「言うべきこと」が全く変わるということも多い。

性格は当然だが、例えば受けて来た教育のスタイルなどはかなり直接的に影響するし、親の職業なども意識に対して作用することは多いと感じている。

私と一緒に仕事をしたスタッフは、私が雑談として色々とプライベートなことを聞くと感じているかも知れないが、それはこのような前提認識を得るため。(勿論、セクハラにならないようにとかは気を付けている)

 

ただでさえ最近は、プライベートな部分を知り辛い風潮になっている。

リモートワーク主体の場合には更に、テレビ会議などでも直接的な話だけに留まり易い。オフィスでふと会った際に顔色を見る、ということもできなくなるので、状況把握も難しくなる。

 

そのため、会議の前後に敢えて「無駄な時間」を作ることが必要だと思う。

顧客とのミーティングでも同様なのだが、会議の開始直後や終了後少しの時間、通常のオフィスでのミーティング後の立ち話やタクシーの中での会話のようなものを意図的に作った方が良いかと。

 

効率を重視することが良いということも正しいが、一方で必要な「無駄」も有る。

リモートワークが必ずしも効率が高まるとは限らない。個人単位の作業については結構無駄(非生産的な状態)が生じていると思う。

しかし、コミュニケーションに関しては無駄が無くなる傾向が強いと感じている。

確かに、作業設計であったり単なる作業指示・確認という点では効率的になる。無駄な会議や会話も減る。これらはプラスの面も当然多いが、マイナスの面も少なくない。

 

コミュニケーションだけは、意図的に「無駄」を作ることも必要だと思う。

戦略コンサルタントの仕事は「考えること」ということを再認識すべき

戦略コンサルタントの仕事は「考えること」にある。

当たり前のこと。しかし、意外とこのことが忘れられているのではないか?と思うことが多い。

 

まず、「インプットとアウトプット」ということが軸として語られる。案件を進める中で語られることがインプットとアウトプットに終始することが多い。

忘れてはいけないのは、その間に「プロセス」が入るということ。単にインプットとアウトプットだけだと情報ブローカーになってしまう。

しかし、実態としてそのようなスタンスの人が多い。しっかりとした「型」が出来ていない状態で作業効率を強く意識する人ほど、ここを飛ばしてしまう傾向が強いと思う。

必死になってインプットする。様々な情報を探しまくる。大量の情報が見付かる。そしてそのままアウトプットに向かう。

 

自己研鑽についても同様で、インプット量を増やすことに必死になる。それ自体は間違っていない。全ての基本はインプット。

しかし、その後はいきなり「如何にアウトプットするのか」に意識が移りがち。この場合は「物知り博士」になる。

インプットしたことが、要するに何なのか、どのような意味を持つのか、といったような、自分なりの解釈もしくは咀嚼をすることが必要。その上で、取り敢えずすぐには使わないインプットについては一度「熟成」をさせる。

 

この人達の特徴は、「作業」となると基本的にPCに向かっている。画面を閉じていることが無い。

 

何となく、「戦略コンサルタントはPCに向かって仕事をするもの」という認識になってしまっている人が多いような気がするが、これは大きく間違っている。

PCに向かうのは、本質部分ではないインプットとアウトプットの「作業」をするためだけ。それ以外は紙とペンを持つだけで良い。

数学者や理論物理学者と同じスタイル。

強いてPCを使うとすれば、PowerPointExcelではなくてWordもしくはメモ帳。考えるということは形式としては「言語化」なので、これで良い。

 

では、何を考えるのか。

これも勘違いしている人が多いと思う。

「解を考えること」と考える人が居るが、これもあくまでも副次的とも言える要素で戦略コンサルタントの本質ではない。

重要なのは「何を考えるべきか」を考えること。

 

無駄な作業が多くなる理由は、「何を考えるべきか」をしっかりと考えられていないから。考えるべき対象が絞り込まれていないから、やらなければならないこと(=必要となるインプット・アウトプット)が増える。

「作業スピードを上げる」と言うと、Excel等の操作スピードの話に終始する場合も有る。確かに若手が最初にすべきなのはこれらの操作スピードなのだが、アナリスト卒業位からは「如何に無駄な作業を減らすのか」ということに意識を移すことが必要。

アナリストレベルで求められる一定の操作スピードが身に付いた状態からは、作業スピードを2倍にするためには、操作スピードを2倍にするよりも必要な作業量を1/2にする方が遥かに簡単。

 

このためにも、とにかく「考える」ということに意識を回すことが必要。

 

戦略コンサルタントであるならば、まずは「作業」としてざっとインプットをした上で、「さあ仕事をするか」と言ってPCの電源を落とすのが正しいと思う。

書籍録「珍夜特急」

COVID-19の影響がいつまで続くのかが全く見えないので、ややもすると将来に対する憂いが頭の中を締めたり、欝な気分になりがち。

そんな状況なので、気分転換に読み返したのがこの本。私が最も好きな本で、読み返すのが何度目なのかも既に分からない位に読んでいる。

 

 

タイトルから想像できる通り、あの「深夜特急」のオマージュ的なものだが、本家はバスなのに対して、こちらはバイク。

作者は大学を中退し、最初はインドからリスボン(最終的にはブダペスト)、2ndシーズンではバンクーバーからアメリカ大陸の北南端を走破している。それらを少し時間が経ってからまとめたという本。

 

個人的には、本家「深夜特急」よりもこちらの方が数段面白いと思っている。とにかくハチャメチャで凄い。

深夜特急」を読むと仕事を投げ捨てて旅に出たい、という衝動に駆られる。一方でこの本を読むと「真面目に仕事しよう」と思えるのが不思議。

今のような将来が不透明な時期に、「こんな人生を歩んでいる人が居る」というだけで元気になる・・・かどうかは分からないが、お勧め。

 

 

なお、仮に「深夜特急」を読んでいない人は、まずは「礼儀」として、そちらから読みましょう。

深夜特急1-香港・マカオ- (新潮文庫)

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ちなみに、深夜特急大沢たかお主演で映像化もされていますが、こちらもお勧め。

どこだかの街で郵便局に突然現れた大沢たかおの恋人役の松嶋菜々子が、非常に可愛くて好きでした。(全くの余談:ちなみに、原作にこのシーンは無い)

劇的紀行 深夜特急 [DVD]

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専門分野は先に宣言してから作る

コンサルタントとしてそれなりの期間を過ごしていると、ある程度「得意分野」と言えるようなものが見えて来る。

とは言え、これがそのまま自分の「専門分野」として武器になるかと言えば、そうではない場合も多い。

特に「戦略コンサルタント」は、かなり意識して取り組まないと専門分野は作れない。

 

まず、「戦略コンサルタント」という分類は、何か言っているようで実は何も言っていない。

強いて言えば、課題を設定し、その課題に対する解決方法を示し、顧客の経営層を動かす・・・というようなものが範疇にはなるのだが、これを「専門分野」と位置付けると「営業が専門です」と同じ位に漠としたものになる。

(とは言え、この「戦略コンサルタント」という括りで差別化を図り「専門家」として生きる道も有るが、これはごく一部の極めて優秀な方のみが選べる道だと思うので、今回はここには触れない)

一口に営業と言っても、取り扱う商材や顧客によって全く異なる仕事と言っても良い。その位の幅が出る。

そのため、業種・業界やテーマ等々、何らかの軸で絞り込むことが必要になる。

 

また、業種・業界であったりテーマによって得意分野が出来たとして、それが「専門分野」と言えるのかは疑問が残る。

そもそも、「専門分野」とするためには、「その分野への知見を高いレベルで有する」ことと同時に、「その知見によって差別化が出来る」ということが求められる。

前者だけでも「専門分野」(もしくは「専門家」)と称することは可能だが、それに何の意味も無い。

 

 

業種・業界の軸で専門分野を絞り込む場合、あまり狭いと「一業種一社」という縛りで展開が出来なくなる。

(これを気にせずに、ある企業のコンサルを行った後に、その競合企業のコンサルを平気で担当するファーム/人も居るが、これは倫理的に問題が有ると考える)

一方で、「アッセンブリ系の製造業」といったような切り口での絞り込みの場合、そこで「専門家」と名乗って顧客に対してその専門性により価値を提供するのはかなり厳しいと思う。

 

まず、主だった所は極めて競争が激しいので、専門性はできるかも知れないが差別化が出来ない。特に製造業や金融業などは専門家は多いと思う。

また、そもそも業種・業界軸での知見が求められる案件については、最近の傾向としてかなり専門化・先鋭化したテーマが増えていると思う。そのため、本当にこの軸で「専門分野」を築くのだとすると、コンサルタントとして取り組んでいるレベルでは難しいと考えている。

仮にできるとすると、若手のうちの5年程度の経験でも知見がかなり有効に働き、その知見が陳腐化し辛く、かつ、戦略コンサルへの転職者が少ない業種・業界に、その業種・業界経験者が中途で入った場合だろうか。

小売や教育、福祉関連などは行けるかも知れない、と思う。(深く考えた結果ではない)

勿論、Ph.Dを持っているような人は話が別。

 

結果として、専門分野を作るのであればテーマが望ましいと思う。

これはこれで難しいのは間違いないし、おおよその分野は専門家が居る。

とは言え、純粋な戦略コンサルタントとしてそれなりの勝負できるレベルになり、それに掛け合わせて、何らかの領域でしっかりと体系立てた知識・知見を得られれば、掛け算で十分に勝負できると思う。

人事やIT、会計等々、様々な分野で専門的なコンサルタントが居るが、しっかりと戦略を起点に落とし込めるコンサルタントは決して多くはない。

こちらは現実的かと。

 

私の場合、戦略×人事へのシフトを明確に意図している。しかし、現状で人事についてはまだ専門の人事コンサルと真っ向から勝負できるレベルには達していない。

そのため、ここについての集中的な学習を行っている。

 

 

そして、これらの専門分野の作り方について。

専門分野を作るためには、先に宣言してしまった方が良いと思う。

しかも、「私は〇〇を専門分野としたい」ではなく、「私は〇〇の専門家です」と。

 

実は私の戦略×人事へのシフトも、人事案件を殆どやったことがない状態で宣言したことから始まっている。正確には宣言したというような改まったものではなく、さらっと「人事は得意分野です」という感じで。

「できる」と宣言してから必死で勉強するのが元からの私の基本スタイル(良いか悪いかは別として)だが、その極みのようなことをやっている。

 

私は元々、全くと言って良いほど専門性が無い。

強いて言えばデジタルを絡めた新規事業や情報技術関連なのだが、いずれも変化のスピードが速く、コンサルでは付いて行くのが厳しいと考え、今のファームに移って以降はなるべく触れないようにしている。

それにより、どのようなテーマにでも対応できるという戦略コンサルタントとしての一つの武器を手に入れたが、さすがにどこかに専門性を持たないと厳しいと思っており、興味なども考えて戦略×人事へのシフトを図っている。

 

取り敢えず現状で、今の私を知る人は「組織・人事系が強い人」というイメージを持っている場合が多いのではないかと思う。

とは言え、まだ実は片手程度の経験数なのだが・・・と思ったりもしている。

 

少なくとも「これが私の専門分野」と宣言し、そこに向けて必死で勉強しているうちに、余程間違った分野を宣言しない限り道は拓けると思う。

やはり、宣言することで自分のアンテナの感度が上がるし、「専門家」になってしまった以上、下手なことはできない。周りからの話の入り方なども変わる。

 

取り敢えずここからかと思う。

長考タイプは向かない

コンサルタントの向き不向きを考えると、「長考タイプ」は向かないと思う。

そのため、自分が「長考タイプ」だと感じるのであれば、早い段階でこの癖は直した方が良いと思う。

 

長考タイプとなる理由の一つとして、そもそも「考える」ということをしっかりと理解していないことも有ると思う。

先日、下記のような記事を書いた。

takashi-kogure.hatenablog.com

 

「考える」というのは、違和感を起点に言語化するということだと(取り敢えず現段階では)考えている。

この「言語化」という意識が足りないことにより、ただひたすらウンウンと唸っているという状態に陥る人を多く見る。

本人は考えているつもりだし、「コンサルタントは考えることに価値が有る」といったようなことを言われるので、そのような時間を「価値の有るコンサルタントらしい」と感じているのかも知れない。

しかし、これは全く無価値なので、とにかく「言語化」を常に意識すること。

 

このような、そもそも「実は考えてもいない」という人は論外だが、実際に考えているとしても、自分なりの結論に達するまでに時間を要することは望ましくない。

 

囲碁や将棋の世界などでも「長考タイプ」という人は居る。初手に1時間以上掛ける人も居るらしく、そのような人が何を考えているのかは分からないが、ある程度局面が進んだ所での長考は分からなくはない。

しかし、コンサルで長考はNG。

 

何が違うのか。

 

簡単に言えば、囲碁や将棋は「待った」をできない。一度そこで結論(手)を下したら、その手を取り下げることは不可能。

しかしコンサルタントは違う。幾らでも「待った」をできる。取り敢えず一度「手」を打ってみて、「違う」と思えばやり直せが良い。

 

思考の精度を高める上でも、取り敢えず「こんな感じ」というものが浮かんだら、一度言語化する。そして、それを仮説として思考を次に進めてしまった方が良い。

そして「その仮説は違う」ということが分かったら、場合によっては元の所まで立ち戻る。少なくとも、「このような前提に立つと違う」ということが分かっているだけ、先に進んでいる。

 

コンサルタントが考える対象は複雑であり、かつ、最初から全てを見渡そうと思うと非常に広く考えることが必要。

そのため、考えが進まない、と思ったら、一度ある前提を置いてみる。その前提が正しいかどうかは分からないが、「こう考えたらどうなるのか」というような仮定を置く。

これで取り敢えず一方進むことができる。それによって考える対象を取り敢えず絞り込むことができる。間違っていたら、戻って、別のところに一歩進んでみる。

 

このような、所謂仮説検証のサイクルを高速回転させる方が良い。

一箇所でじっくりと考える位なら、取り敢えず「こんな感じです、知らんけど」というようなものを出す。(勿論、「知らんけど」などと言ったらボコボコにされる)

それをベースに議論すると、意外と何か見えたりする。余程酷い考えであれば別だが、少なからず考えられたものであれば「違うけど、何で違うのか」といった思考の取っ掛かり(「違和感」)程度にはなる。

 

 

なお、コンサルタントとして顧客と対峙する際には、「自分が以前に出した考えを否定できるか」は、その人のコンサルタントとしての能力を見る上で一つの重要なポイントだと思う。

良くないのは、一度顧客に出したものを否定することを恐れ、「違っていた」と自分でも認識しているものを正当化しようと頑張ること。これは本来は論外なのだが、結構多い。「こうすれば正当化できる」という全く違う方向にエネルギーを使い出す。

「違っていた」と認識したら、自分が出した案であっても取り下げること。

そもそも「最終報告に至るまでは修正される可能性が有る」ということは相手に理解して頂くことが必要だが、それでも、自分の言ったことを修正することに対して色々と言われることは有る。

しかし、顧客に何と言われようが、違うものは違う。これは死守すべき。

この点も合わせて認識しておいた方が良い。